第145話 桜花恋歌 その4

文字数 800文字

ワンレンボブっぽくなった先輩の髪。
俺は先輩の左目にかかった前髪の一房を指で引っぱり隠れがちだった黒曜石の双眸を覗き見る。

「先輩、髪切った方がいいですよ。目が悪くなります」
「そうだな。母上がなかなか切らしてくれなくて」

そう言うと先輩はカバンからヘアゴムを出して髪をひとまとめにし首の後ろでくくった。
括れるほどに先輩の髪は長くなっていた。

目が悪くなるからなんてただの言い訳でしかない。
昨夜見たあの夢。
夢の中の先輩と同じ髪形だと先輩が現実にいなくなりそうな気がして……。
学校に行く道々、にこりともせずに俺は先輩に禁止事項を提案しつづけた。

「先輩。白い着流し持ってます?」
「ああ、有るけど?」
「当分の間、着ないで欲しいんですけど」
「なぜ?」
「……なぜって、その」

説明できない。
昨日の夢を言葉にしてしまえば現実に起こりそうな気がしてくる。

「先輩の家に桜並木がありますね」
「そうだけど」

先輩の家は門から玄関までゆうに三百メートルはありそうな大邸宅だ。
邸宅の後ろには、バラ園や四季折々の花々で飾られたヨーロピアンガーデンがある。
梅、桜、桃などの大型樹木も植わっている。

「枝垂れ桜は?」
「あるよ」
「じゃ、決して近づかない下さい」
「高森、今日は変な事ばかり言うんだな」
先輩は微苦笑した。

「………俺は、先輩の事が心配なんです」
俺は真剣な顔つきで言った。

夢に見たあの枝垂れ桜の大樹が先輩の家にあるかどうかも定かでは無い。
今は桜のさく春ですらない。
それなのに胸をしめつけるような不安が襲ってくる。
俺はしつこいほど先輩にお願いした。

「とにかく、今言った事やらないで欲しいんです」
「そうか。……わかった。努力するよ」

一連の要求は先輩にとって理不尽としか言いようがない。それなのに訳も聞かずにあっさりと承諾(しょうだく)してくれた。
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