第26話
文字数 1,433文字
次の週の土曜日。
書道を習っている先生の家に来た泉は、扉を開けた玄関先に変な違和感を覚えた。
いつもあるはずの角田先輩の草履がないのだ。
草履がないという事はまだ教室に来ていないという事だ。
もともと、書道教室は土曜の午前中8時から12時の間に開催されており、生徒は設定された時間内に来て好きなだけ書いて帰ればいいことになっている。
先輩は9時にやってきて10時に帰るようにしていた。
律儀で几帳面の先輩は、一度たりともその時間を違えた事はなかった。
ただ単に来ていないだけなのか、今日はお休みをしたのだろうか?
判じかねて、廊下を抜け皆が習字をしている教室に入った。
からりと襖を開けると書道にいそしんでいた生徒たちが一斉にこっちを見る。
軽く挨拶をして部屋の隅に行き机の上に書道道具を並べる。
板間を含め14畳ほどある畳の部屋に、左右三人掛けの坐机が4列ずつ並び皆、机に向かって正座し静かに文字を書いている。
現時点で来ている生徒は7名だった。
だが、先輩の姿はやはりない。
墨をすり筆につけて手本通り半切に文字を書く。
一枚書いて、先生の所に持っていった。いつならこんなことはしない。
5、6枚書いてよくかけたと思えるものを持っていくのだがそんな余裕は泉にはなかった。
「おはようございます。先生、あの、角田先輩はきていますか」
「いらっしゃい、泉ちゃん、角田君?そういえばまだ来てないわね」
朱液に筆をつけ持ってきた泉の文字を添削しながら先生は答えた。
「あらっ、いつもより、文字が乱れてるわよ」
多分に多くなった半切の朱文字を見て先生はため息をつく。
いつもなら、三重丸がつくはずの文字は朱で訂正入りまくりだった。
「……すみません」
謝る泉はちっとも心から謝っているようには見えない。
「あの、今日は気分が悪いので帰っていいですか」
「あらっ、そう?、大丈夫、泉ちゃん一人で帰れる?」
「大丈夫です」
そう言うと大急ぎで席に戻り書道道具をかたずけにかかる。
挨拶もそこそこに教室を後にした。
書道教室からさほど遠くない所に市が運営する植物園と昆虫館があった。
泉は足早にそこに向かった。角田先輩は帰りにそこに寄る事が多い。
もしかしたらこっちの方にいるかもしれない。そう考えた。
昆虫館は蝶館と甲虫館の二つに分かれる。
先輩はいつも蝶館の方にいる。入場料を払って中に入ると
いつもなら飛んでいるオオゴマダラの姿がほとんど見えない。
慎重に奥に進む。ベンチのあるドーム奥に進むと着物を着て、もたれかかる様に座る先輩の姿が目に入った。
周りにオオゴマダラが群れ飛んでいる。
いつも通りではなかった。
先輩の手首に鮮血が走り、手を伝って指先から滴り落ちた血はベンチを汚して
さらに地面に小さな池を作り始めている。
リストカット!!
かなり深く切ったらしく血が止まらない。
一体いつから……。
「先輩!」
声をかけて側に駆け寄ると蝶たちは一斉に飛び立った。
蝶がいなくなってから声をかけるが意識が遠のいているのか反応が薄い。
顔色、皮膚の色が明らかにいつもより白くなり脈拍が微弱になってきている。
呼吸数が異常に多い。ショック症状が始まっているのは明らかだった。
持っている包帯で止血を試みるがうまくいかない。
救急キットはいつも持っているのかと聞かれて違うと答えた。
でもそれは嘘だった。
『だって先輩は私と一緒にいないと早死をする』
あの言葉も気負いでもなんでもなかった。
真実を言ったに過ぎない。
二度目の轍を踏んだ泉は震える手で携帯を取り出しどこかへ電話し始めた。
書道を習っている先生の家に来た泉は、扉を開けた玄関先に変な違和感を覚えた。
いつもあるはずの角田先輩の草履がないのだ。
草履がないという事はまだ教室に来ていないという事だ。
もともと、書道教室は土曜の午前中8時から12時の間に開催されており、生徒は設定された時間内に来て好きなだけ書いて帰ればいいことになっている。
先輩は9時にやってきて10時に帰るようにしていた。
律儀で几帳面の先輩は、一度たりともその時間を違えた事はなかった。
ただ単に来ていないだけなのか、今日はお休みをしたのだろうか?
判じかねて、廊下を抜け皆が習字をしている教室に入った。
からりと襖を開けると書道にいそしんでいた生徒たちが一斉にこっちを見る。
軽く挨拶をして部屋の隅に行き机の上に書道道具を並べる。
板間を含め14畳ほどある畳の部屋に、左右三人掛けの坐机が4列ずつ並び皆、机に向かって正座し静かに文字を書いている。
現時点で来ている生徒は7名だった。
だが、先輩の姿はやはりない。
墨をすり筆につけて手本通り半切に文字を書く。
一枚書いて、先生の所に持っていった。いつならこんなことはしない。
5、6枚書いてよくかけたと思えるものを持っていくのだがそんな余裕は泉にはなかった。
「おはようございます。先生、あの、角田先輩はきていますか」
「いらっしゃい、泉ちゃん、角田君?そういえばまだ来てないわね」
朱液に筆をつけ持ってきた泉の文字を添削しながら先生は答えた。
「あらっ、いつもより、文字が乱れてるわよ」
多分に多くなった半切の朱文字を見て先生はため息をつく。
いつもなら、三重丸がつくはずの文字は朱で訂正入りまくりだった。
「……すみません」
謝る泉はちっとも心から謝っているようには見えない。
「あの、今日は気分が悪いので帰っていいですか」
「あらっ、そう?、大丈夫、泉ちゃん一人で帰れる?」
「大丈夫です」
そう言うと大急ぎで席に戻り書道道具をかたずけにかかる。
挨拶もそこそこに教室を後にした。
書道教室からさほど遠くない所に市が運営する植物園と昆虫館があった。
泉は足早にそこに向かった。角田先輩は帰りにそこに寄る事が多い。
もしかしたらこっちの方にいるかもしれない。そう考えた。
昆虫館は蝶館と甲虫館の二つに分かれる。
先輩はいつも蝶館の方にいる。入場料を払って中に入ると
いつもなら飛んでいるオオゴマダラの姿がほとんど見えない。
慎重に奥に進む。ベンチのあるドーム奥に進むと着物を着て、もたれかかる様に座る先輩の姿が目に入った。
周りにオオゴマダラが群れ飛んでいる。
いつも通りではなかった。
先輩の手首に鮮血が走り、手を伝って指先から滴り落ちた血はベンチを汚して
さらに地面に小さな池を作り始めている。
リストカット!!
かなり深く切ったらしく血が止まらない。
一体いつから……。
「先輩!」
声をかけて側に駆け寄ると蝶たちは一斉に飛び立った。
蝶がいなくなってから声をかけるが意識が遠のいているのか反応が薄い。
顔色、皮膚の色が明らかにいつもより白くなり脈拍が微弱になってきている。
呼吸数が異常に多い。ショック症状が始まっているのは明らかだった。
持っている包帯で止血を試みるがうまくいかない。
救急キットはいつも持っているのかと聞かれて違うと答えた。
でもそれは嘘だった。
『だって先輩は私と一緒にいないと早死をする』
あの言葉も気負いでもなんでもなかった。
真実を言ったに過ぎない。
二度目の轍を踏んだ泉は震える手で携帯を取り出しどこかへ電話し始めた。