第286話 アナザー 二人の高森 その94

文字数 775文字

「バカな子。屋敷の入り口で警告してあげたのに。わざわざ入ってくるなんて」

 覚えがある。この声、その姿。そして、そのセリフまでも。
 正人はぎゅっと唇をかんだ。

 退魔師の家系に生まれた正人は、早くからその才を認められ、父と連れだってよく妖怪退治にいかされた。彼が高校一年の時、退治し損ねた妖。それが今目の前にいるジョロウグモだった。

「裕也をはなせ」
「ばっかじゃないの?こんな美味しそうな獲物。食べるに決まってるでしょ」
 女は耳障りの悪い声で笑い転げた。

「おや、お前、見た顔ね。思い出したわ。私に一太刀浴びせたクソガキね。
 大きくなったじゃないの。わたしはねぇ。寒くなるとまだ、あの時の傷が痛むのよ」
 女はさも痛いと言うふうに大げさにゼスチュアしてみせる。

「まだ存在していたのか」
 女は不愉快だと言わんばかりに目を細め正人に向かって手を一閃させた。
 シュッと顏の横を鎌鼬(かまいたち)が掠めた。
 女は窮奇(キュウキ)を配下に従えているらしい。
 皮膚が切れて正人の右の頬に鮮血が走る。
「つっ……!」

 けらけらと不気味な笑い声が周りに響く。
「ハラヘッタ」
「ハラヘッタ」
「ネェ、アイツクッテモイイ?」
 女の後ろに舞い戻った窮奇はキーキーと騒ぎながら女に許可を求めている。
「いいわよ。野郎の肉なんておいしくないわ。あんたたちにあげる。
 私は若いコの方が好みなの」

 目つきの鋭くなった正人に煽るように女は言った。
「ああ、そうそう、あの時の子ども。とても美味だったわよ」
 女は天井にはりつけにされた裕也に流し目を送り、
「彼もおなじくらいおいしいかしら」と呟いた。

「だまれ!裕也をお前の餌になんかさせない」
 正人は手の甲で頬の傷を拭いギロッと女を睨みつけた。

 忌まわしい記憶がよみがえった。
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