結局、それか。

文字数 826文字

他人に何かをしてあげてるって思ってる人って、何故ああも偉そうなんだろうか。
やってあげたんだから、それぐらいしたらどうなの?っていうのは横暴だ。
何かしてあげるとか、してあげたいとかって言うのは、本人の気持ちであって、それを受ける側には無関係のはずだ。
もちろん、それをありがたいと思う人もいれば、そう思わない人もいるし、懇切丁寧にお礼をする人もいれば、そっけない謝辞もある。感謝してたって、何も言わない人もいるかもしれない。
それでも「やってあげた私」の気持ちを察することを求めるなら、初めからやらなきゃいいだけの話だ。
結局、誰かに何かしてあげてる(ドヤ)って思ってる人間は、相手が自分の期待に応えてくれると言う期待を持ってやってるのだ。
期待を二重に課すって言うだけでもいい迷惑だ。
自分が勝手にやってること。
と言いながらも、それに対して相手から返って来た、もしくは返ってこなかった感謝の大きさについて文句を言うくらいだったら、はなっからやめときゃいいんじゃないんですか?
それは誰かの努力や、誰かの頑張りとは関係ない、それこそ自己責任ってやつだ。
本当に他人に奉仕できる人は、なにも返ってこなくても、お礼がないとか、その中身に関してぐちゃぐちゃ文句を言ったりしない。
なぜって自身の行動に責任を持っているし、他者からの承認を必要としない自信があるからだ。
とか書いたって、正論は面白くもなんともない。
昔、知人に言われたことがある。
ちなみに正論の対義語は謬論もしくは曲論だそうだ。
ワタシは知人に「正論は正しいけど面白くないんだよね」と言われたとき、はぁ?面白いも面白くないもねぇだろ!!!だったら極論や暴論の方が面白いっていうのかよ!!!
と腹を立てた。
対義語じゃないと言うのを知らなかったのだ。
でも、あれから十五年余り月日が立って思うのは、極論や暴論の方が色んな意味でウケるよね。
っていうことだ。
大人になった。
ワタシもそっちの方が気になるタイプだというのは間違いない。
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