第205話 感情

文字数 1,372文字

 喜怒哀楽。
 ブッダがいうには、そうした心に支配されるでなく、支配する人間になれ、ということだ。
 心を支配する人間になれ。
 そう、これは、きっと可能だ。
 無関心。余裕。だらけ(怠惰)、ぼんやり。無機質な、空白、白紙を一枚、心にひらひら。
 それを見つめる眼、巨大な眼一つでも、小さな眼多数でも、同じことになる。
 ただの、眼があればいい。
 その眼が、ぼやかされる時、心に支配される。
 支配されることに慣れ切った。支配されないではいられない。
 そうしてずっと歩いて来たから、心なしではいられない。
 支配されることを望んで支配され、好きこのんでのたうち回る。

 喜も怒も哀も、同じのたうち回りの体を為し、その心のみが荒ぶる。
 性的歓びに支配される時、苦悶の表情を浮かべる。
 悔恨、痛恨の念に支配されても、同じ顔だ。
 バカな脳は、快楽の記憶のみを求め、イヤな記憶を排除しようとする。
 同じ顔をしているくせに、快楽ばかりを求めようとする。

 時間が経てば、我に返る。他に、返るところがないからだ。
 不承不承に、我を返す。時が経ち、返せるものと化したからだ。
 快楽や痛苦の真っ只中にいる時、我は忘れられる。

 表面ばかり見て、本質を見ない者は(めくら)である。
 漱石の言を待つまでもなく、その時すでに闇の中。
 
 ここでひとつ、疑問が浮かぶ。心の(あるじ)は誰なのか。
 心の奴隷であることにしか、甲斐(・・)を見い出せずに来た者は、誰なのか。
 心の支配者たる主は、一体どこにいるのか。我、とは何か。

 時間と無関係ではいられない。過ぎて、初めて顧みれる。
 過ぎている最中は、それをみれない。
 「分ける」に語源をもつ「分かる」ことができない。
 分けられない、分からない今に、常に在り続けることになる。
 言えること、書けること、他者に向かう時、何も分けられない・分からない状態で、何かをいうことになる。
 不完全きわまりない事態のまま、我が何かも分けられぬまま、他者と自己、自他は関係をすることになる。

 そうしてこの世界が、少なくとも人間とよばれるものの世界が出来上がっているようだ。
 感情をゆすぶらすきっかけをつくる、「他」。他によって、うごかされる「自」。
 けっして、一致することはない。
 一致を見ようとするなら、それが過去のものでなくてはならない。
 しかも、自と他の間にみることはできない。おのれの、過ぎた時間の中で、波立った感情の起伏、その状況(そうさせた環境・物理的影響)を体験したこと、その過去と同じような「今」にあった時、あの時と同じようだと直感的体験をする。
 その時、あの時いた人々、まわりの状況、おのれの置かれた立場、自意識から、他者、他へ、初めて自分の意識、心、我が他へ向かい、そこでやっと一致した実感を体験する。

 しかしまったく、その時の体験をする自己とは何なのか。
 心と自己が同一のものだったら、心の支配者など在り得ない。心に支配された自己は、心が支配するもの(・・)でしかない。
 とすると、我は在ることになる。我が在るから、支配されることができることになる。
 というからには、やんちゃ坊主なアメーバ、我を制するような心も、我によって制することが可能になる。

 そう、結局、戦争のことを考えている。
 我を制せない者が、他を、世界を制しようとして、精神と肉体に傷をのこす武器を用いる──
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