第24話

文字数 1,307文字

 あと、これは、書こうかどうか迷っていたことですが、嬉しかったことなので、そのまま書こうかな、と。
「三題噺」コンテストに応募した僕の文章が、【公式】DAYS NEO@講談社クリエイターズラボ(!)なるTwitterで、紹介された、とのこと。
 いつも読んで下さっているМさんからレターで教えてもらい、えーっ、と思いつつそこへ行くと、確かに紹介されて…。
 右ヒジが曲がらず、応募した文章、自分はこれしか書けないんだ、というような絶望の中にあって、それは嬉しいことでした。
 ぼくの文が一般ウケしないのは分かっているし、賞なんかとは無縁とも思っています。だから、よけい嬉しかったんだと思います。

 ツイッターなんかやったことないし、公式のそれの存在も知りませんでした。Мさん、教えてくれて、かさねがさね、ありがとうございます。(それより、励ましのレターが嬉しかった)
 何となく、書きたいことを書けば── もしブンガクカイみたいなものがあるとしたら、それはたぶん商業主義、売れればいいという、そればかりを求めるものだから、逆に疲弊してしまっているような気もします。本に限らず、音楽でも絵画でも、自己表現する「自己」が不在になっているような空気、感じます。
 これだけネットで、表現できる場がたくさんあっても、みんな同じような「顔」に見える…
 べつに、それに反発する気はありません。ただ、ナンダロ、コレ、と思います。
 そのネットで、こんなことを書いている自分も、ナンダロ、と思います。

 いきなりですが、ぼくはデンマークの哲学者、キルケゴールに憧れています。その内容は、難しくて、わけがわからないことも多いのですが、「ホントウのことを言っている」ことだけが、強く「わかり」ます。
 キルケゴール自身、まわり(社会)に云いたいことが強く強くあって、でも、それ以上に自分自身の言葉で、まわりに分かりにくくても、自分自身を突き詰めていくような歩調で、これでもかこれでもかと真実のようなものを追求していく… あの姿に、ぼくは身が詰まされる思いがします。
 あんなふうに、基本、土台を、どこまでもそこに置いて、書けて行けたらと思います。
 でも、あそこまで徹底できるのは、自分の命に限りがあること(彼は42歳以上生きられないと思い込んでいた)を本当に知って、だから思い切り好きなことを書こうとすることができた、その命に対する対し方、受け止め方、に依るところ、大きいかと思います。
 
 人の目を気にするのはだいじだけれど、それを自分の中で大きくしないように、したいと思います。
 でないと、自分の文章が書けなくなる… 他人はどうあれ、自分の命のようなものと、文章、そこに、隔てがないようにしたいと思います。いのちあっての、モノダネです。
 キルケゴールのあの姿にまで、いってしまったら、ほんとに誰にも読まれなくなる気がしますが、やっぱり行ってみたい。それだけのものが書ければの話ですが。

 何となく、もうここに書き始めてもう一年くらい経つので、自分への戒めのように、こんな文を書きたくなりました。
 書ける身体に、まず感謝ですね。
 どうもありがとうございます。
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