第50話 戻り梅雨

文字数 1,202文字

 あんまり暑いから、日曜日から朝の九時半から十一時半位までやることにしたから。自分のぶんのぐらいあるから。今みんなに電話かけてるんだ── と電話があったのが一昨日。
 九十歳位の、銭湯で知り合ったおじいちゃん。耳がすっかり遠くなって、こちらの言うことが聞こえていないみたいだけど、しっかりしていらっしゃる。
「やる」のは紙ヒコーキを飛ばすこと。「自分のぶん」とは、僕が飛ばす紙ヒコーキのこと。「みんな」は、紙ヒコーキ仲間の五人位のお友達。
 紙ヒコーキにはそんな興味もなく、もっぱら僕はそのおじいちゃんと話すのが好きで、奈良公園の「飛行場」にたまーに行っていた。でもこの数ヵ月、全く行かなくなっていた。
 あ、行きます行きます、と返答。それが今日の日曜日。しかし雨。あがっても、地面が濡れていてはダメなので、今日は絶対中止。

 コロナで観光客が減るまでは、おじいちゃん、iPadを持って飛行場に来ていた。外国人の子どもや旅行者が紙ヒコーキに興味をもち、じっと見ていたりするので、社交的なおじいちゃんは「飛ばしてみる?」とか言ってよく話しかけていた。その際の翻訳機が iPad。

 しかしほんとに素敵な歳の取り方をしていて、ほとんど聖人の域に達しているおじいちゃんである。
 日傘をつくる個人商店をずっとやってらして、奈良テレビなんかから何回も取材を受けたりしている。その傘づくりの職人芸たるや、みごとなものだと思った。だが二、三年前、引退された。
 品があり、人ずきで、朗らかで、まわりをいつも明るくさせる。センスのいい冗談には、いつも疲れ果てるほど笑わされてしまう。
 といって、本人はいたってマイペースで、全然むりをしている気配が微塵もない。
 こうして、自然にまわりに気を遣い、気を遣うという意識もなく、まるでそれがほんとうに自然なのだ。
 いつかは、もう話すこともなくなったなぁ、という頃、(二人でベンチに座っていた)何やらサイフを取り出し、僕に背を向けてもぞもぞやっている。何か見てはいけないような気がして、そっぽを向いていると、「ほれ、ここに十円があるやろ。これが、こっちに瞬間移動するからな」と、右手と左手を瞬時に何かして、手品を見せてくれた。
 だが、瞬間移動する瞬間が見えてしまって、あ、これこうしたんでしょう、と指摘すると、「つまらんやっちゃな。驚いたふりをしてもらわんと困るやないか」とまっすぐ僕を見て笑いながら言う。
 手品より、おじいちゃんそのものが面白かったりする。
 おじいちゃんとしては、僕が紙ヒコーキに興味がないのが残念らしいが、僕はとにかくこのおじいちゃんが大好きなのだ。
 いつまでも、ほんとに元気でいらしてほしい。いつかそう言うと、年賀状だったか、そりゃムリだよ、と返事をもらった気がする。センスのいい冗談と一緒に。
 こんな素敵な人と知り合えただけでも、奈良に越してきてよかったと思ってしまう。
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