第184話 雑感

文字数 1,129文字

「ゆるやかな自殺」という言葉はいつ聞いたろう。
 ゲーンズブールが言っていたのを見た。それは文字だったが、聞こえるように読めた気がする。
 何ということはない、「タバコは間接的な自殺だから」とか言って、両切りのジタンを寝ている時以外吸い続け、デカダンな音楽を作り続けたゲーンズブールに憧れたのは二十歳の頃だったか。
 天才というのはまわりが勝手につける適当な称号で、彼にとってはどうでもいいことだったろうし、それよりもイイ女と寝て酒が飲め、ジタン・ブルーの箱を空けていくのを望んでいただろう。

「かめ君は自堕落な人でないから」と言ってくれた友達もいたが、ゲーンズブールのような不良中年の存在を知れたことは、ぼくに一種の余裕を与えた。ガス抜きのようなもので、もともと気体であったような自分には、同化したいと思わないことが不自然だった。
 子どもの頃に、兄の影響でプロレス・ファンになったのも、あっちの世界を知れるきっかけになったと思う。この世はショー・ビジネスだよ、を地で行くようなプロレスラーは、何か勇気のような、でも、だから「気楽に行けよ」と言われているような、ふしぎな魅力があった。
 もちろん今から思えばで、当時は真剣に見ていた。

 だが、何回も書いて申し訳ないが、生きたいと思うより、死にたいと考える時間のほうが多かった。だが、しかし考えてみれば、生きたいなんて、そんなこと思わなくても、すでに生きているのだった。
 何かつらいことがあって、そしてそのつらさが、自分であることに起因する場合(大体そうなのだが)、臭いにおいは元から絶たなきゃダメとばかりに、このモトを断ちたくなるという具合だった。
 そしてまた考えてみれば、生きたいというのは、自分の場合、何かをしたいという具体的なものがあった時、その「生きたい」という言葉に換言できる。
 好きな女の子とデートする時、好きな友達と会える時、死にたいなんて露ほども思わなかった。ジタンを吸っている時も、嬉しかった。書きたいことが書けた時も。
 生きたいというのは、大雑把な物言いだ。
 生きたくても生きれない、いのちがあるんだよ、と、くらべるのは、いのちに失礼だと思う。
 だれだって、生きたくて生まれたわけでないし、死にたくて死んでいくわけでない。

 ただ、自由をおもう。
「死にたい自由さえ奪われたくない」とモンテーニュは言い、「あの世もこの世もなかったね」と吟遊詩人はうたう。
 生きているあいだは、自由だ。
 鎖を断ち切るも、()でるも。
 少なくとも、生きているあいだは。

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 しかし、だからって、自分が自分が、になっちゃだめだと思うぞ(この頃のノベルデイズのトップページを見て、ナニコレと思った)。
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