第17話 前向きに(2)

文字数 1,501文字

 思うように動かない体に、しょんぼりしている初老の男を見かねたのか、家人が「オステオパシーで遠隔してもらう?」とか言い出した。
 オステオパシーとは、整体の一種で、リモートコントロールで施術することも可能であるという、一般に「怪しい」と見られがちなものである。だが、その整体医は、何回か僕もその整体院で直に施術してもらったが、いたってまともな人で、おかしな犯罪をするような人間ではない。坊主頭の、ごく普通の三十代くらいの大人であった。
「たぶん、(人間の)この世界って、今どんな悪いことが起こっていても、きっと良い方向に行く、それまでの道程なんじゃないでしょうか」
 そんなような言葉を聞いた気がするが、「好きなことはする。いやなことはしない」を、自分にも他人にもモットーとして向けているような人である。
 
 僕は健康保険証を持っていないから、フツウの外科医にかかるのは選択外。
 腰の不具合は自然に治るものらしいから、このまま何もしないで時間が経つに任せようと思っていたが、家人に心配、家事の負担をかけるのもいけない。
 ついでに言えば、家人は国家指定の難病をもっている。一昔前だったら、とっくに死んでいる病気らしい。で、彼女は今生きているのは「オマケの人生」と捉えているようだ。国からの医療費等の援助は受けず、自分で何やかんやと勉強し、医者に頼らず自分の病気に対処している。
 彼女曰く、「人間の体、いのち、病気なんて、何がどうなってそうなるのかなんて、ホントウには分かんない」。
 西洋医学を一般的にほど信じておらず、といって妙な新興宗教的なものに走る人でもない。「あえて言えば、自分以外に何も信じない『自分教』」だという。
 こういうひとと、一緒に暮らすようになったのも何かの縁だろうと僕は思う。で、「じゃ、リモート、お願いしよう」となったわけである。初めての、「遠隔施術」。

 さて、リモート・コントロールされた僕の体は、楽になったのは確かであった。
 が、だからといって、それで僕がこの「遠隔施術」を信じるのかといえば、「どうでもいい」と言ってしまえる。信・不信は、僕にとってたいした問題ではなく、動くと痛かった体が、以前より痛くなくなったこと、これだけでもう充分だったからである。どういう理由で、どういう作用でそうなったかは、べつに知ろうとも思わない。

 フツウの医者にかかる、というふうな生き方をしてこなかった自分の、今までの半生・過去にあったいろんなことを思い出し、結果、今があるんだなぁと思う。
 今もまだシャンシャン歩けないけれど、病気に対して何がベストの治療かなんて、分かるわけがない。
 結果ばかりを重んじがちな世の中だけど、その結果を招くのは、「世の中」ではなく、「自分自身」なのだ。
 もしこのまま、今までのように歩けなくなっても、それは自分が今まで生きた一つの

であって、自ら招き入れた運命のようなものだ。どんな結末が待っていようが、自分の生きた結果として、それだけは快く受け容れたい。その準備をするために、今ここにいるという感じがする。

 発症以来、もう十日ぐらい経つが、しかし徐々に回復しているようだ。今日は本当に久しぶりに、約三十分、外を歩いた。一人じゃ心細いので、家人と一緒に。
 体に不具合が生じると、ふだん「ナンダ、コイツ」と思ったりしてしまう時もある家人に対して、なんとありがたみが湧くことか。
 病気は、確かに、いろんなことを気づかせてくれる。
 誰かが言っていた、「病気は神さまからのメッセージ」。
 神さまなんか、信じちゃいないけど。

 えっ、もしかして、戦争も、神さまからのメッセージ?…
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