第160話 レターの緊張

文字数 1,326文字

 だいぶ慣れてきたけれど、コメントを書くことに随分時間がかかった時期がある。まる一日、どう書けばいいのか、こうでもない、ああでもないと考えて、何がいいたいのか分からない感想を送ってしまったこともある。
 エッセイなら、ぼくもそう思います!と、まだ感想が書きやすいが、小説となると批評的、上から目線的になりそうで、オレは何様だ、と自己嫌悪にもなる。一話の中に、響いて来る文言がいくつもあったら、いよいよ何を書いたらいいのか分からない。こっちが勝手に感動しているだけで、全く作者さんの意図と違うところで、身勝手な解釈をしているのではないか、という不安もよぎる。そして「こう解釈しました」と書くのも怖い。違いますよ、と否定されると、自分のバカさを思い知ることになる。頭の悪さは自覚しているつもりだが、これでもプライドがあるらしい。

 ご都合主義な顔ものぞく。自分の書いたものにコメントを貰えば、喜々として返信するくせに、相手への感想となれば躊躇する。自分が貰って嬉しいのだから、相手だって貰って嬉しくないはずはない。だが、こう書いたら相手はどう思うだろう、これでこちらの伝えたいことは伝わるか、と考え始めると、どんな感想もしっくり来ない気がしてくる。それでも、読んでよかったということを伝えたい。どうしたら正確にそれを伝えられるか、また画面とにらめっこを始める。そうして何時間も経過する。
 結局、相手にどう思われようと、素直に、感想を書けばいいんだ、というところに落ち着いた。その方が、自分が楽だし、相手にも一番伝わりやすい、と信じることにした。
 慣れもある。惰性ではなく、やりとりを続けていると、信頼関係のようなものが、こちらが思っているだけかもしれないが、生まれるように思う。そのような存在が、いてくれるだけで、ほんとにありがたいと思う。
 ちょっとだけのやりとりでも、その人となりが分かる気になる。だからレターを書くのに緊張していたのだが、だんだんそのヨロイも脱げるようになってきたのかもしれない。

 サイト上だから、会ったこともない。でも、現実にいる東京の友達なんかを想い出す。その人のことを想い出すと、嬉しくなる、という存在がある。けっして、マイナスに働かない力。会っていなくても、想うだけで、ホッとできるような存在。いてくれるだけで、ありがたい、という存在がある。そういう存在が、生活に張りを出したり、モチベーションになったりする。気持ちは、ほんとうに大きな作用を及ぼす。
 いいね!は便利な機能だけれど、やはり「生きた言葉」はかけがえがない。
 自分にとっての問題は、器量が狭いところだ。読む作品は真剣に読みたいし、だから遅読になり、多くの作品が読めない。限られた、お気に入り作者さんのところに行くだけで手一杯という、情けない状態になる。自分の世界の狭さ、活動エネルギーの小ささを痛感する。

 ここノベルデイズに書き始めてよかったと思うのは、そういう存在と出逢えたことだった。なかなか、そういう人とは出逢えない。奇跡といってもいいだろう。
 結局、人なんだなぁ、と思う。そこが自分の弱さのようにも思うが、弱いんだから、それでいいだろう、と思い直してみたりする。
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