第32話 鹿さん

文字数 980文字

 東大寺へ。
 修学旅行生らしき集団や、遠足の子ども達、中高年のツアーのような団体が、ちらほらと見えた。
 しかし、なんといっても鹿である。木陰で反芻しながら、ゆったり(くつろ)いでいる鹿たちを見ると、どうしてもニヤけてしまう。くつろぐというか、「そのまま」なのだ。
 お母さん鹿が、子鹿に、「毛づくろい」しているのか、かゆいところをかいてあげているのか、子鹿の耳あたりを口でハムハムしている。子鹿は、気持ちがいいのか、じっとしている。お母さん鹿が、今度は首筋あたりをハムハムする。子鹿は、やはりジッとして、うっとりしている様子。実に、微笑ましいこと、この上ない。

 大仏殿の近くの小川、雑木が鬱蒼としている場所からは、まだ小さなバンビが。ひとりきりで、心細い様子。鹿独特の、「困ったよぉ」とでもいうような、キューン、と小さな声で鳴いていた。
 これは、べつに育児放棄されたわけでも、はぐれたわけでもなく、親には親の用事があって、子を安全な場所に置いて、どこかへ出掛けている時にこうなるらしい。
 また、親に万一のことがあっても、ほかの母鹿たちが助け合い、その子を育てるらしい。
 誰に教えられたわけでもなく、自然にしたがっているだけで、なんとも平和な世界だなあ、などと思ったりする。とにかく、可愛い。

 春日大社に通じる参道に出て、近鉄奈良駅のほうへ。小さな、小物ばかりを売るおみやげ屋の立ち並ぶ坂を下り、猿沢池へ。ここは、数年前に、カメが大量に駆除されてしまって、単なる藻ばかりの池になってしまった。スッポンの泳ぐ姿がたまに見えたり、石の上で甲羅干しするカメたちにはずいぶん癒されたけれど、残念ムネン、コネムネン。

 しかし、ああ、ここは奈良なんだなあ、と思った。
 まさか奈良に住むとは… たまたま、ブログで知り合った画家と当時作家志望だったような友達と、T自動車で仲良くなった友達がいて、カナダから恋人(今の家人)も奈良に引っ越してきたりして、何回か足を運ぶうちに、自分もここに住んでしまった。
 ふたりの友達との交流は消えてしまったけれど、画家と家人とはまだ続いている。

 どこにいようと、僕は僕だと思う。でも、たまに、自分はどこにいるんだろう、という気になることがある。
 ここはどこなんだろう、と。
 きっと、どこでもないんだろうな。
 でも、確かに言えることがある… 鹿は、可愛い。
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