第89話 無ければ無いで…

文字数 1,560文字

 冷蔵庫の中を見る。
 いつも、あらねばならない牛乳(朝、家人もぼくもコーヒーに入れる)、ヨーグルト、納豆(納豆によって生かされてきた感がある)は、もはや必需品。
 問題は、野菜室。家人はほとんど肉を食わず、野菜で身体がつくられている、と言ってよい。チンゲンサイ、白菜、豆苗、キャベツ、人参などがあれば安心だ。炒め物、おひたしができる。
 今年は蕎麦に目覚めたようで、夕食は一日おきに蕎麦だった。暑い夏だったし、乾麺の「二八そば」がやたら美味しく、ざるそば三昧だった。
 まぜご飯もよく炊いた。しめじ、マイタケ、しいたけ、人参、油揚げなどを入れて。

 身体をつくっているのが食べ物だとしたら、この野菜の有無は、まさに死活問題じみてくる。
 死活の前に、不安になる。野菜室の充実は、安心をもたらす。家人の場合、野菜とアイスクリームがあれば、そんな精神的飢餓に陥ることなく、「何か足りない」気分になることもなさそうに見える。
 だが、そんな沢山買い込んでも、今度は冷蔵庫さんに文句をいわれそうである。電気代もかかる。黙々と働いている冷蔵庫さん、たまにブウン、と音を発するが、かれが壊れたら、それこそ決定的なダメージをわれわれに与える。なるべく余裕をもって働いてほしい。つまり、野菜室や冷蔵室を、物で一杯にもしたくない。
 で、こまめに買い物に行くことになる。

 台風が来る、というのも、不安にさせる。自分の家が壊れるならともかく、近隣に迷惑が行くといけないので、庭の高木を少し切ったり、フェンスなどの補強をする。ささいな補強だが、これも安心のため。
 雨風が強いと、買い物に行くのも困難になる。昨日のうちに結構野菜やら何やらを買ってきた。
 川が近いから、増水、浸水の不安もある。地面に近い通気口を塞ぐべきかと考える。十二箇所もあるので、ブロックで積むうちに腰がやられるだろうと思う。動けなくなったらまさに絶望的なので、これはやめておこうと判断する…

 しかしほんとに不安のタネなんて、探そうと思えばいくらでも探せる。なるようになる、と、最後的にはカンネンするしかない。いざという時にこそ、自分がどう動くかが一番肝心だろう、と思いながら。
 でも頭って、ほんとにいつも何か考えている。思考していない時はあるのか?

 思考が働いている時、心は過去や未来を彷徨っているという。過ぎ去ったことを悔やんだり、起こるかどうかもわからないことを不安に思ったりするという。
 現状に満足していない場合、その傾向が顕著になる、と。
 これと逆に、現状に満足している時、人の心は「今ここ」に戻るという。
 だいたい人は、肉体で今を生きながら、心では「今ここ」を生きていない場合が多い。
 そしてこの心のクセとして、いい気分の時はそれを長く味わおうとし、悪い気分の時はそこから脱け出すことばかりを考える。つまり、悪い気分の時は「思考」が働きやすくなる、というわけだ。

 では、悪い気分の時、心を彷徨わせず、「今ここ」に戻すにはどうしたらいいか。
 方法の一つとして、物理的に良い気分を味わうことがいいらしい。
 自然や動物にふれる、美味しいものを食べる、音楽を聴く、ゆっくり風呂に入る… 人それぞれに、好きなことをして、いい気分を存分に味わうことが大切だという。
 たぶん今日はまだ台風は来ない。久しぶりに、銭湯へ行ってこよう。

 心が「今ここ」になく、肉体と心が分離している時、自分と人生を否定する理由が沢山見えてくる。不調や病の多くは、この状態が長く続くことによって起こるものらしい。
 まずは自分自身(心?)。
 台風への備えみたいなこと、べつに野菜もパンも、無けりゃ無いでどうにかなっていくもの、頭で「無くちゃ」と思い込んでいるだけ、みたいなことを書こうとして、どんどん外れていった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み