第331話 過渡期も過ぎて

文字数 1,623文字

 ネット、携帯、スマホと来て、兎にも角にもコンピュータ無しではなかなか生活もしにくくなった。
 三歳の男の子(私の姪の子。血縁関係上の名称、イトコだとかハトコだとかいうのは無いらしい)に遊んでもらっていて、彼がテレビに接続されたYouTubeで「機関車トーマス」の気に入った回を見るために i-padだか何だかを指先一つでいとも簡単に操作しているのを見るにつけ、驚くほかなかった。
 何でも小学一年からクラスにこのテのコンピュータ(PC?)は導入されているとも聞いた。子ども達一人一人が机に向かい、小さなコンピュータに向かい、学習する。教室の中、授業風景も変わったことだろう(私の幼なじみのKちゃんから聞いた話。全国の学校がこうなっているのかどうかは分からない)。

 すごい、よく操作できるなあ! 関心して見ていると、「感覚的なものだから」と姪が言う。そんな難しくない、というニュアンス。いやいや、俺、できないよ。

 私は「新しいもの好き」だった。レコードからCDになればCDラジカセを買い、カセットテープからMDになればMDラジカセを買った。携帯電話が登場すれば飛びついた。出会い系なんかにもハマったし、一時は二台、携帯電話を持って駆使していた。
 音楽を聴くためのUSB(?)辺りから、興が冷めはじめた。何百曲も録音できる物だったが、あんな小さな物はかえって不便だった。あんな物より、CDやレコードの方がまだ良い。物として確かな存在感があり、一枚のアルバムを聴くという行為に、そのミュージシャンと対峙する、一対一の時間を共有し愉しむという、「存在と時間」をこの身に沁みて実感できていた気がするからだ。
 といって、今聴く音楽はぜんぶYouTubeからなのだが。

 あんなに好きだった携帯電話、離れていてもメールで繋がり、どこでもコミュできる素晴らしさも、スマホの登場から、何か自分の中でストップがかかった。もともとメカニックな物に弱いというのもあると思う。年齢的なものもあると思う。だが、何かそれ以上に、これは自己正当化にも繋がる考え方だが、「いや、これ以上はもういいだろう」という拒否反応、スマホという物そのものを拒絶したい、そんな自分がいたことを否むことができない。
 だいたい、携帯電話、スマホのような物は、電話とメールだけできればいい。それ以上の機能は要らない、そんなスタンスで対していた── というより、その操作性、利便性云々のことより、それ以上に何か危険が感じられた。
 これは自分の機械オンチ以前の、何か本能的な、危険予知のような何かがそうさせたように思える、これが自己正当に繋がるとしても。

 実は今朝から、昨日の朝もだが、エディオンカードとイオンカードの解約に挑んでいる。生前整理ではないが、そんな使っていないカードに年会費を取られるのもシャクだという貧乏根性からである。だが、これがうまく行かない。簡単でないのだ。入会は簡単だったはずなのに、退会となると店頭でできず、ネットかカスタマーサービスの電話になるという。いずれの場合も、IDとパスワードが必要になるとかならないとか。
 ネットの銀行にしても、私の預貯金は微々たるものでどうでもいいといえばいいのだが、私の死後、パスワードが分からないとか何だかんだで、後に残った人の手を煩わせたくない。現在、いろんなカードを持つ本人、当人でさえ面倒なのだ、退会にあたって。

 それはさておき、もう過渡期は終わった、という感が強い。
 私個人の過渡期も含まれるが、それだけでない、時代的な、個人的でない時代的な流れも、これ以上はもう行かぬだろうという感が強い。ここに願望は含まれていない。もう機械もここまで発達、さらにこれ以上行きようがないだろう、という感を強く感じる。介護ロボットが施設で活躍し、無人のコンビニ店舗が町に増えても、特にもう驚かない。
 さしあたり、わけのわからないカードの解約手続きをしたい。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み