第40話 ふしぎなこころ(二)

文字数 1,807文字

 心理学者。たぶんぼくの心理をもっとも学んできたのはぼく自身であるから、この点は他者に依存することもあるまい。
 自分で、このこころを分析してみよう。
 なぜ今度の日曜日にツレアイが元カレ氏と食事をすると聞いた時、ぼくは愉快な、楽しい気分になったのか?
 ①、日頃から、妬み・嫉妬は、諍い事を生む原因・遠因になる、だからそういう心は戒めるべきだ、と自分に言い聞かせている。この言い聞かしが功を奏した。
 つまり、日頃の心掛けのようなものがホントは嫉妬したい心を瞬時に抑えつけ、その反動で突発的に「愉快な、楽しい」気分にさせた。本音は、「え~、会うなよ」だった。
 ── だがこれは、ちょっとムリがあるように思われる。なぜなら、今もぼくはちょっとドキドキするような、でも確かに「楽しい」気分であることに違いがないからだ。もしムリにホントの気持ちを抑えつけているとしたなら、ムリには必ず(ほころ)びが出るものだから、いい加減ゲンナリするはずである。だが、ぼくは今も楽しい気分のままでいるのだ。ちょっとドキドキはするけれど。

 ②、自分には、どこかヘンタイ的な要素があるのではないか? よくAVなんかでも、「寝取られ」というジャンルがある。夫が、細君を他人に「寝取られる」のだ。それを見る男どもがいるわけで、自分もたまに見る。その細君の心理、夫が隣りでスースー寝ているのに、「夜這い」をされて、なんだか気持ち良くなってしまうということ。
 その罪障感。そしてその「夜這い」をした男は、大きな声を出せない細君を尻目に、何やらとにかく女体を悦ばせ、悶絶させるというシチュエーション。
 こういうジャンル、趣味があることを、ぼくはつい最近知ったのだ。そんなに悪くない、と思った。
 だが、これにもムリがある。いくら性的な気持ちと、その相手への好意・愛情は別次元にあるとはいえ、まずぼくのツレアイがそう簡単に「寝取られる」とは思えない。
 一昨日のカレンダーに予定を書き込む状況のことをもう少し詳しく書けば、「オトコは、かつてモノにしたオンナの身体が今どうなっているのか? 興味シンシンだろうなぁ、チャンスがあればまた抱きたいと思うだろうなぁ」みたいなことをぼくはニヤニヤしながら言っていたのである。

 すると彼女は、「あのねえ、オトコがみんな、あなたの考えるようなことを考えるわけでないんだよ。もうそんなムカシのことは憶えていません。ホントにヤラシイんだから」と、実際の言葉と違うが、そのようなことを言って、まるで意に介さない。
 そして、「もし〇子さん(ぼくの元妻)と会って、そういうことする?」と聞いてきた。ぼくは即座に「しない。〇子さんとはもうそういう関係ではない」と答えていたのだ。
 これは自分でも確信をもって断言できる。もしそのような情況になっても、ぼくはそういう行為をしない。元妻のことは今も大好きである。だが、それとこれとは違うのだ。

 三年前、幼なじみの女の子と何十年ぶりかで会い、喫茶店で仲良く沢山おしゃべりをしたが、ぼくは全然そういう気にならなかった。彼女に魅力がなかったのではない。打ち明ければ、ふいに手を握られた瞬間があったが、ぼくはすぐ退けてしまった。彼女とは、幼い頃の、何かもう手の届かない、純だった頃の心のアルバム、景色のようなものから外れたくないし、これからもずっと掛け替えのない、いい友達でいたいと思っている。
「でしょう? そういうものよ」と、ツレアイは勝ち誇ったように言う。そうなのだ。彼女にも、もう元カレさんとの「そういう時期」は終わってしまっているのだ…。

③、とすると、ぼくが一昨日嫉妬をしなかったのは、結局ありていの言葉で詰めれば「信じている」ということになる。そういうことはしないだろう、と。十年一緒に暮らしていれば、相手のことは大抵わかっている気になっているし、彼女とは性格も趣味も全く違うが、根本的なところで同じような、似通った部分がある。
 だがそれは「彼女を信じる」というより、「彼女をそう思う(見る)自分、ぼく自身を信じている」ということである。だからもう信じる/信じないどころの問題ではなく、きっと楽しいだろう、いや楽しんでほしい、大切な元恋人ではないか、だいじな関係ではないか、という、ぼく自身がぼくの人間関係を見るように、彼女に対してもそのように見、「なんだか楽しくなった」というのが実情のようである。
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