第236話 「あなたがしてくれなくても」

文字数 1,423文字

 家にテレビがあったら、一度はチラ見する番組かもしれない。

 このタイトルは、うまいと思う。「してくれない」で止まるのではなく、「ても」が付くのだ。

「ても」の後は?と、気にさせるタイトルである。

 想像するに、この題名そのままに、「夜の生活」を基本に昼間の日常を描くドラマと想う。

 しかしセックスレス。双方が、レスでも全然大丈夫、平気です、愛があります、てな夫婦であったら何の問題でもない。

 双方の、いずれかが、レスであることに悲しみ、やりきれなさ、つらさを感じているから、問題になる。

 なかなか、身に詰まされる。自分の場合、「してくれない」という側であるからだ。

 性欲の強弱、これが根本的にあるだろう。自分は、強い側に入ると思う。こればかりは、違いがあるのだから仕方ないと思う。だが、なかなか性欲は、「仕方ない」とおとなしく引き下がるものでもないらしい。

 ナイーヴな問題だ。オトコ側から見れば、いやボク側から見れば、エッチって気持ちいいはずだから、キライなひとなんていないんじゃない?と思ってしまう。(ほとんど信じている…信じたいとしている)

 だが現実は、ほんとに一人一人違っていて、何でもかんでもとにかくエッチがしたい、という人もあれば、そんなにしなくても、という人もあるのが本当なのだ。

 カラダの相性とかテクニックとか、あまりそういうのは関係ないというか、それ以前の問題、… 問題と言うのも憚れることのように思われる。

 そもそもエッチって、考えてするものでもないというか、いろんなワザがあるらしいから、それを研究、考えることは楽しそうだが、それも相手があってのことである。相手が、そこまでしなくても、という人であったら、それは哀しい憧れ、まだ未体験のワカモノが憧れる、初体験の夢のようなものだ。

 しかし双方がほんとに心から満足し合える、そんなエッチってあるんだろうか。これも、初体験を終え、いくつか更に体験した後、そういう体験がない場合に抱く疑問だ。

 ──たしかに、エッチが好きな異性もいらっしゃる。でも、振り返れば、そういうひとの前では、自分はあまりエッチになれなかった。エッチな者どうし、素敵なそういうライフ、タイムを過ごせるじゃないかと思うが、相手がそうだと、自分がそうなれなかった。

 これはどうしたわけだろう。

 憧れというのは、きっと実現しないから憧れなんだ。そして実現したらしたで、また新しい憧れができ、もう、きっとキリがないのかもしれない。

 これは性欲に限らず、「欲」というものは、そもそもそういうものであるからだろう。欲は、ほんとにキリがないんだ。

 でも、憧れるって、きっと素敵なことだと思う。

 実現したら、終わる。

 しかし、もう絶対実現不可能、願いが叶うことはない、と分かってしまったら… ほんとうに絶対か分からないにしても、もはや叶わないんだと、そして実現してもきっとそれは味気ないんだと、シラケた気持ちに自分がなってしまったら…

 憧れという一つの希望(これは希望だ)が、自分からなくなることになる…?

 いや、性欲と希望は違うのか。

 うん、わからない。

 夜の生活がうまく行かなくて、別れてしまうようなこともあるんだろうか。その相手が、これ以上ない、こんな自分と一緒に暮らしてくれる、まるで奇蹟的な存在であったとしても?

 夜の生活って、そんなに強いものなんだろうか。関係を、壊してしまうほどの?

 自分次第、自分次第だな、それも。
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