第38話 「陽のあたる翼」

文字数 907文字

 先日、YouTubeで下田逸郎さんの曲を聴いていた。自動的にサイドバーに出てくる関連動画を何となく見ると、もう廃盤になった「陽のあたる翼」というアルバムがアップされている!
 ありがたや、ありがたや。
 これは下田さんの初期のLPで、かなりの名曲揃いのアルバムなのだ。
 まだ10代だった頃、銀座のソニービル辺りの中古レコード屋でこれを発見した時、歓喜に溢れたものだった。が、聴いてみると、そんなでもないな、と感じた、当時は。
 だがだが、あれからン十年経った今、当時とはまったく違うように聴こえる。
 イイのだ。当時、ヨクナイと感じたものが。

 何が変わったのか? レコードは何も変わっていない。変わったのは、ぼくだ。
「さりげない夜」から入ったぼくは、それを大変気に入っていた。こんな歌を歌う人がいるんだ、と、相当なショックを受けた。で、あの「さりげない夜」のような内容を、「陽のあたる翼」に求めていたのだ。
 だが、自分の求めていたのと違っていたために、そんな好きになれなかった、というアルバム。

 下田さんは、東京キッドブラザーズというミュージカル劇団の音楽監督をしていたから、そのメロディーラインは説得力があって、ぼくにはとても美しく感じられる。
 ニューヨーク公演で「黄金バット」という劇が大ヒットし、しかし劇団員のホームシックにより一団は帰国してしまった。その余韻冷めやらぬ数年間のうちに、製作されたアルバムだと思う。
 音楽監督だった下田さんはタイムス紙でその才能を絶賛され、「天才」といわれたらしい。

 だからまだ初期のこのアルバムは、ミュージカル的な匂いがしないでもない。
 音が大袈裟で、仰々しく聞こえて、「さりげなさ」がなかった… これが、ぼくが「失望」した理由でもあった。
 が、ン十年過ぎた今、当時の下田さんの「思い」のようなものが、やっと理解できるようになったのかもしれない。

 1st.アルバムで下田さんは、「私は天才の道でなく 神への道を歩きます」と書いていたが、その通り、不条理みたいなところに自分から身を置いて、独自の音楽活動を続けてきたのだと思う。
 見習わねば、と思う。ぼくは天才でも何でもないけれど。
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