第105話 かけっこ

文字数 1,367文字

 一軒家が立ち並び、ごちゃごちゃとした路地めいた区域がある。
 ドラッグストアへの近道なので、よくこの道を利用する。
 で歩いていると、ランドセルをしょって歩いて来る小学生とすれ違う。たいてい、女の子がひとり。そして必ず「こんにちは」と言ってくるのだった。同じ女の子ではない。
 チャンとこっちを見て。とても自然に。
 こっちも、何とも微笑ましく、自然に「こんにちは」と言える。
 こないだは、「えらいねえ、チャンとあいさつして」と誉めたくなったけれど、言ったら不自然な感じがして、やめた。
 何の(てら)いもなく、無邪気に挨拶されると、問答無用に嬉しくなる。
 可愛いなぁ。しばらく、頬がゆるみっぱなし。

 大人どうしだと、こうはいかない。すれ違っても、おたがい下を向いていたりする。

 だが、今年の夏の夕暮れ、「微笑ましくない」小学生の女の子と逢着した。
 べつの道で、買い物帰りに歩いていると、ぼくの後方を歩いていたその子が、ぼくを小走りに走り抜け、ぼくの前方に行った。赤いランドセルの、小学一年くらいの女の子だ。
 それだけなら、べつに何でもない。
 だがその子は、どうもぼくの行く手をはばむように歩きたいらしかった。
 ぼくの足は短いが、まだその女の子より長い。必然、彼女より歩くのが早くなる。で、彼女を追い抜くことになる。少し足早になって、彼女を追い抜いた。
 すると彼女は、ダダダと(靴の音が聞こえた)走り出し、またぼくの前方を歩き出したのだ。

 彼女は何かたくらんでいるようだった。黄色い帽子を目深にかぶり、こっちを見向きもしない。
 またぼくの歩調が、彼女を追い抜こうとする。で、また少し足早になって追い抜いた。
 すると彼女は、またダダダとぼくを追い抜いたのだった! そしてまたぼくの前方を、つかず離れず、1mくらいの絶妙な距離をおいて、歩き始めた。
 はっきり言って、ジャマであった。
 なんだコイツ、とぼくはムッとした。女の子は、相変わらず目深に帽子をかぶり、何となく意地悪げな、口元が見えた。
 もう一度、ぼくは彼女を追い抜いた。
 そして彼女もまた、ぼくを追い抜こうとした。
 ぼくは追い抜かれまいと、本気で走って、彼女に追い抜かれまいとした。
 彼女とぼくは、4、5m、並走した。
 後ろから見たら、彼女とぼくは、かけっこして遊ぶ親子に見えただろう。

 そして十字路に来て、ぼくが左に曲がると、彼女も左に曲がった。
 だが、もういいか、というような空気が、彼女とぼくの間に発生したと思う。ぼくは走るのをやめ、歩き始めると、彼女はもう追い越そうとせず、あきらめて、でも帰る方向が同じなのか、途中までぼくの後ろを離されるがままに歩いているようだった。
 公民館のところを、ぼくはまっすぐ歩き、彼女は少し立ち止まってぼくを見送り、右の道へ行こうとするのが目の隅に見えた。

 オトナげない、といえばオトナげない。だが、ほんとにムッとして、腹が立った。
 学校で何かあったのだろうか、家に帰っても淋しいのだろうかとか、彼女の事情を考えたが、とにかく歩行の邪魔だった。そして「ワザとしている」悪意が決定的に感じられた。
 もう過ぎたことだが、もしまた道で彼女に会い、そして同じことをしてきたら、「前も一緒に走ったね」と笑い掛けて、「なぜそういうことをするの?」と聞いてみたいと思う。
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