第251話 横尾忠則さん

文字数 1,058文字

 画家かと思っていたが、「美術家」と紹介されていた。

「ラジオ深夜便」でのインタビュー。御年87歳という。滑舌もしっかりなさっているし、とてもお元気そうだった。

 特に、この美術家の作品を好きなわけでもない。いや、熱心に観ようとしたことがない。絵に関しては、パッと観て、その瞬間に何かが自分の中に入ってくる── その瞬間の「出逢い」から始まって、あとはじっくりその絵を観ながら自分との対話、絵の吟味を始めるという具合で、第一印象に決定される── そんな「つきあい方」をしてきた。

 セザンヌに関しては最初から吟味する。第一印象の衝撃よりも、そっちの方がこの人の絵の場合とても楽しめて、深い感じに覆われる。セザンヌは好きだ。

 さて、ラジオ深夜便。聞き手の人もしっかり質問をして、inter-view(二人で、二人の間を見る。二人で一つのものを見る)というものだったと思う。面白かった。

「描く時は、『無』ですね。何も考えないようにしています。何か考えると、止まっちゃう。子どもが砂場で遊ぶように、なんだか無心って感じですね」みたいに仰る。

「できれば、何も描きたくないんです。でも人間ってアマノジャクですね、入院した時、『二週間は絵を描いちゃいけない』って医者から言われて。でも、そしたら、すごい描きたくなっちゃってね。ふだんは全然描きたくないのに」

「子どもみたいな、そんな、遊ぶ気持ちで描いてますね。何を描こうとか、全然ない。その時の気分のままです」

「…で、結局死ぬんです」

 唐突な「死」という発言に、「いやいや…」とインタビュアー。すると横尾さんは、「そんな言い方(反応)しないで下さい。みんな死ぬんです。これは間違いない。死を考えない、考えようとしないのは、よくないと思います。みんな死ぬんですから」みたいに仰る。

「死」と、仲良くつきあった方がいい、というふうに私には聞こえた。極端にいえば、なぜネガティヴじゃダメなんですか? という問いにも聞こえた。

「死は、怖くないですか?」という質問に、「若い頃は怖かったけれど、もうすぐ90でしょ。もうね、怖いとか、なくなっちゃいますね。90くらいの人達に聞いてみれば、もうほとんどの人が『怖い』なんて言わないんじゃないかな」

「そういう境地にいられるんですね」

「いや、境地とかじゃなくて、あきらめですよ。あきらめるって、非常に大切だと思います。あきらめないと、苦しいんじゃないかな」

 横尾さんは、絵を描く時、「あきらめている」という。

 こういう話を聞けるから、面白いんです、ラジオ。
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