第153話 自分が否定されたような気になる時

文字数 2,712文字

 一昨日、サワラを焼いていた。この魚は高い。一切れ、298円もするのだ。今まで、こんな魚を食べたことなかった。サワラという名前は、聞いたことがある気がするけれど、50年生きて、初めて食べた。つまり三、四年前、初めて食べたのだ。
 味音痴というか、特に食にこだわりはないので、できれば安い物を食べたい。だが、家人に食べてもらう物、となると、話は別である。朝はコーヒーだけで出勤してしまうし、昼も菓子パン1コである。せめて夕食ぐらい、しっかり食べてもらわないと、栄養面で心配になる。
 蕎麦、炊き込みご飯、野菜炒め、餃子。これを作れば、間違いはない。好物らしく、よく食べてくれる。
 で、大体この四つを日替わりで作り、途中に鍋物を挟んで、一週間がたいてい終わる。

 ニラが一束158円(198円の時もある)もするので、餃子を作るのは少し勇気が要る。蕎麦は、値上がり前に通販で安くまとめ買いしたので、しばらくは安泰。しめじやマイタケは、いつも安く売っているスーパーがあるので助かる。モヤシも、ありがたい。
 ホッケも、よく焼く。これも一切れ250円と高価だが、けっこう大きいから、許せないこともない。タラも高い。薄い身、二切れで、600円とか。
 肉を食べない人だから、せめて魚を食べてほしい。
 頭で、そうした方が良い、と思っているだけかもしれない。戦中戦後は、栄養を考えるどころでなく、ある物を食べていただけで、それでも人間、死ななかったはずである。イモだけでも、ソバだけでも、きっと、そんな食べなくても、大丈夫なんだろうと思う。でも、やはり身体にイイ物を、と考えてしまう。

 で、一昨日、サワラを焼いていたのだ。フライパンで。
 だいたい夕方の六時前に、家人は帰って来る。だがその日は、親切な同僚の人に車で送ってもらって、いつもより早く帰って来た。
 早めの帰宅で、余裕のある家人が換気扇の下でタバコを吸う。その目の前には、焼かれているサワラが。
「これ、カラ()きになっちゃわない?」彼女が言う。
 サワラの身は、もちろんフライパン全体を覆えない。フライパンには「余白」が多く、確かにその部分はカラ焚きになる。だが、こうして焼くと美味しい、と、クックパッドに書いてあり、ぼくはここ数年、ずっとこうして焼いてきた。
「油をひかないと」とも言われた。「いや、テフロンってそんな、油いらないんじゃない?」と弱く反論。
「フライパンが(いた)むの、早くなっちゃうよ」
 … そんなこと言われても、と思い、僕はムッとしだす。
 ここが、自分の弱い所なのだ。これでヨシとして、やっていることを、否定されたみたいになると、もうムッして不機嫌になる。フライパンが、カラ焚きされる部分について、ぼくだって考えていた。油をひいたって、油がかからない部分はカラ焚きになるではないか。餃子だって、1コ1コ、適当な空間をあけて焼いている。その部分はカラ焚きになるじゃないか。

 何より、その日買ったサワラは、いつになく大きく、ぼくは喜々として焼いていたのだ。それなのに、クレームを、モンクをつけられた、ような気になった。
 横には、餃子鍋が火にかけてあった。鍋の底の方にある白菜や焼き豆腐を、お椀によそう際も、横に家人は立ち、じっと見つめていた。何だか、自分が情けなくなってきた。
「チェックされています」と僕は言ってしまう。
 彼女にはべつに、そんな気はなかった。ただ僕の作業を、横に立って見ていただけなのだ。それなのに僕は、アラさがしをされているような気になっていた。もうダメだ、と絶望的な気分になっていた。
 洗濯物の干し方も、部屋の整理の仕方も、彼女と僕は違う。ああ、ぜんぶ、違っていたんだ。全然、違っていたんだ── そんな思いが、どっと押し寄せて、「もうダメだ」の絶望さまのご登場であった。

 ササクレ立った気分が、きっと、つっけんどんな態度、オーラになって、相手に伝わる。彼女も、かなしくなってしまったようだった。
 もともと、一緒にご飯は食べない。ぼくは余り物で十分だし、午後二時や四時に何か食べたりするので、お腹もすいていない。ぼくとしては、たまには一緒に食べたいが、彼女は好きな動画を見ながら食べたいらしい。
 で、彼女の夕食を彼女のパソコンの机に置き、ぼくは自室にこもる。
 ただ、いつもはよく、食べ終わった頃合いをみて、「マーキング」に行く。PCに向かい、ゲームをしたりしている彼女に、「可愛いねえ!可愛いねえ!」などと言いながら、頬をすりすりさせるのだ。テトリスみたいなゲームをしているので、彼女も必死である。きたない男の顔に視界を遮られ、真剣なまなざしを、より画面に注ごうとする。少し横へ避けられた頬へ、ばかな男の頬が追う。
 緊迫の数秒間がすぎ、ぼくはまた自室へ戻って行く。そしてまた数十分後には、「可愛いねえ!」と、その頬へ向かっていく…
 だが、この日はそんな繰り返しもなかった。ムクレた僕は、ほんとに部屋に引き籠もってしまった。

 … ぼくは、ひとりで料理をつくる、その時間が好きだったのだと思う。その時間を、ジャマされたくなかったのだ、と思う。彼女の

に、自分なりに考えた料理を、ひとりでつくる── その時間が好きだったのだ。
 だからその彼女、本人が目の前にいては、横だったが、ぼくはその彼女のために料理する

の楽しみを、何か妨害されたような気になったのだと思う。フライパンの一件で、あんな傷ついたように過剰に反応したのは、その発露、顕現であったと思う。

 何てことはない。彼女のために、なんて思ってたって、そのために料理をする自分が好きだった、それだけなんだ… そんなふうに思った。

 それにしても、「そのやり方は違う」みたいに否定されると、ぼくには、ムッとしてしまう傾向がある。オレだってこのやり方でいいんだ、と絶対視して、やっていたわけではないんだ。チャンと、こっちだって考えている。考えていた。考えてきた。と言いたくなる。
「その挙句、こうしているのだ。なぜそれが分からないのか」という、相手へ攻撃的になるような、そんな気持ちになる。
 … 甘えたガキだよ、と思う。
 自分の行ないの、一つが否定されたら、まるで自分のぜんぶが否定されたような気になってしまうのだ。
 サワラが一切れ、フライパンのまんなかに、いただけなのに。
 一緒に暮らすのは、たいへんなことだ、と思ってみたりもする。
 だが、そして時間がすぎて、気まずい雰囲気も、今朝はほどけて来たようだ。
 気にしても、しょうがないことは、気にしないように。
 こまかいところで、気にサワラないよう、やっていけたらと思う。
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