第31話 伝書鳩

文字数 1,890文字

 結局僕は、何を書きたいというのではなく、何か言いたいことを言いたいだけだったのだと思う。それが何だったのか?…とにかく、何か言いたかったのだ。
 書いていると、自然、他者を意識する。犬も歩けば棒に当たる。棒は自己の内にある。
 その意識が如意棒みたいに伸びて、空中に、まわりと自分の間に接点らしきものがうまれる(ように見える)。
 その意識は、自己とまわり、他者との接点を求めているふうでもある。── つまり生きていることから生まれる、ある種の絶対的な、普遍的なものに目が行く。それが何なのか、よく分からない。いや、わかっているのかもしれない、ただそれを書こうとして、文字化すると、わからなくなる。
 ああ、文字化なんかできないんだ、言葉にできないものを表現しようとしているんだ、などと考えているそのうちに、最初にあった「言いたかったこと」が、何だったのかも薄れてくる。

 だが、これが、「客観的」と呼ばれるものなのかもしれない、と思う。確かな、でも微かな手ごたえをもって。
 つまり「最初に言いたかったこと」、これは単なる衝動、情動、直情的なもので、いわばそれが「主」、いえば主観とも呼べるものであって… そこに主観と客観の「分離」がうまれるのだ、と思う。いや、もとよりそれは一体のものではなかったのだ。
 そして主観をそのまま書くことなど、できやしないのだ、と思う。
 文字として立たせようと

ことを、「主観」は拒むからだ。なぜなら、文字自体が「客観」の要素を(いしずえ)に、成り立つものだから──
 主観だけに従属し、突っ走れたら、どんなに気持ちいいだろう、と僕は夢を見る。客観など、うっちゃって、たとえば「あの女を抱きたい、あの女を抱きたい」の文字だけで1ページを埋められたら、と思う。まるでホントウに、自分が言いたいことを言えているような気になれるだろうからだ。

 が、そんな文字で埋めようとすることを、僕の「客観」は拒む。主観が足枷をはめる。その足枷は文字それ自体で、「理性」とも呼べなくもないものだ。そしてそれが他者と自己をむすぶ、大切な紐帯のように見えてくる。愛すべき足枷、とでもいうような。
 人間の場合、主に言葉で、人と関わっている。口語にしても、文語にしても、ツイッターなんかでいくら「呟い」たところで、独り言にはなり得ない。ほんとうに

のところから、独り言など、いえないのだ、と思う。そこには意識があるからだ。だからきっと、人は一人でいても、一人ではないのだ。
 
 少し話を飛ばせば、自殺した高野悦子にしても、カフカにしても(発表作を除いて)死後に、日記やノートに書かれたものが発見され、カフカは特にその多くが作品として「認知」されることになった。
 言葉がそこに「在る」こと、それはつまり「一人ではない」「一人では済まされない」ということのように思える… 人の存在と同様、どんなにひとりでそこにあっても、言葉もホントウにひとりにはなれないような。
 とすると、一人であっても一人でないということは、主観と客観、その両面を一つの自己が抱えているからだと思えてくる。
 異質の、異なるものどうしを、一つの自己が抱え、また抱えられて生きている。とどのつまりは「イキテイルだけで、タイヘンなことです」ということになる。事実、そうだろうと思う。

 話を戻して、何か書くということ… 一般小説について考えてみよう。婉曲に、万人に伝わりやすいストーリー。風景描写。技術を磨き、

の技巧に長けたとしても、それが何になるだろう、と、その才がない僕は思ってしまう時がある。
 僕に何かあるとしたら、外よりも内へ向かう足しかないような気がする。これは、僕が他者より自己に重きをおく証左だと思う。身勝手な、自分にしか興味のない生き物であることの。
 だから、何か言いたくなるんだと思う、自分へ、突き詰めていくように。
 そうして、もしこの「突き詰め」が、自己の内からぐるりと回って、現実にいる「他者」への何らかの伝書、メッセージになるのなら… それは哲学でもエッセイでもない、自分についての研究報告書のようなものになるだろう、それがヒトに共通の研究書になれば、と思う。

「自己の内ほど、無限なものはない」とは、よく思う。それこそ万人のもつ、個々人・各自の自己の可能性であるようにも思う。
 これだけ個人化した時代、トコトン、自己を突き詰めてみる… ともかく、外にでなく、内に向かうことから始めたい、という、れいによってわけのわからない意思表示文になりました、ああ、逃げている。どこに向って、どこから逃げたのか。
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