第80話 コロナへの態度として

文字数 1,555文字

 単純なことを、単純に書こう。Go To なんとかとか、オリンピックとか、重篤に陥る可能性の高い高齢者・基礎疾患持ちとかを優先するとか、経済を回す、経済優先とか、メディアを通じてまるでそれが世界の動き、これからこうして行きます、という動向示唆、ああこういう船に乗っているのだなという印象を持ちながら、最後のところで腑に落ちない、何か忘れ物をしたような、それこそ課題文学の「ベース」、土台がおいてけぼりにされているような心象が拭えなかった。
 それは単純な、想像もたいして必要でない、ごく単純な、シンプルなことだった。
 どんどん外へ行こう、コロナはもうどうしようもないのだ、とあきらめて、行動するということ。船主も、そのような方向へ舵を取っているではないか。旅行をしよう、ドンチャン騒ぎをしよう。コロナに罹ったら、罹っただけの話だ。── こういう態度で、人が動くとしたら。
 実際に罹ったら、本人はそれでいいかもしれない。だが重篤の苦しみに身悶えする時、彼はそれに打ち克てず、助けを求めるだろう。そして保健所、病院、おきまりのコースへなだれ込む。
 斯くして、その応対、対処に振り回され、忙殺される人たち、医療に従事する人たちが、大変な、大変な思いをするのだ。

 何故、わざわざ、人を、大変な思いにさせるような行動を取れるだろうか? この不審、行き着く先のこと、その可能性のある行動を、どうしたら取れるだろうかという不審、単純に、「人の迷惑になることはしない」という、ものごころの支柱の一本が、最後のところでどうしても残る。
 そう、ほんとに単純以前の、気持ち。それが、ないがしろになっている、されていく、そんな心地がして、その心地が気になって仕方なかった。

 責任、という言葉がある。ひとりでは、生まれない言葉だ。他者がいて、まわりがいて、初めて責任というものがひとりに持ち得るのだ。どんなに単独行動をして、自己責任と自負したところで、その自己は単独でないところから、その責任はひとりでないところから生まれているのだ。瞬間的に、どんなにイキガルことができたって、他人とオレは関係ねえ、と思い込んだところで、無理なのだ。ほんとうに関係ないと思えるならば、さっさと無人島に行くがいい。

 妙な方向へ、あきらめ、諦念が働いている。同じあきらめる、という精神動作の立ち位置が、身勝手な方向へのみ動いている場合が多く見える。もういいや、とあきらめるにしても、あまりに最初の階段であきらめてはいないか。それとも、おばかになった方が楽だぜよ、というお上からの思し召しが、日頃目にする情報に操作でもされているのだろうか?
 何にしても、第一に重んじたいのは、「人に迷惑を掛けるようなことはしない」、この空気のように薄くなった、言い古された言である。詳細に見るまでもない、何ともそれだけの言葉だが、それだけであるからこそ重んじたい。
 感染者数がどうの、政策がどうのという前に、あまりといえばあまりの現実、そこにいる近所の開業医、またはそういう所で働いている労働者、人へ、迷惑を掛けるようなことはしない。せめて、そうしようとすること。
 それだけで、何か決定的なものが、静かな凪になり、だから空気になり、全的なものが個々的なものへ、降りかかってくるようになるのではなかろうか。上を向き、宙に向って唾を吐けば、おのれの顔面に出戻ってくる。猫ならそれで顔を洗えるが、人間はそのようにできていない。代わりに、人間だからできることがある。
 人間が人間であることから、すなわち全が個であり、個が全であることから、逃れることはできない。それを幸とするも不幸とするも、自由とするも不自由とするも、歩く方向、見据える場所、理念をもったその体勢ひとつで変わっていく。
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