第228話 些細なこと、些細でないこと

文字数 1,049文字

 些細事と、些細事でないことの判別。

「自分に関すること」であれば、どんな些細事も、些細事でなくなるだろう。

「自分に関さないこと」であれば、どうでもいいことになる。

 そう、ぼくは自分ひとりの世界に生きたかった。

 自分だけに関心をもち、自分の好きなことだけをし、幸せみたいな気持ちになって生きれたら、さぞかし幸福だろうと思った。

 だが、そうはトンヤがおろさない。

 先日、わたしはひょんなことから「町内会」の会員になった。毎年一回、総会があって、ゴミ当番の時があったり、順番で町内会長?になったり役員になったりする…らしい。

 自分が、その会長だか何だかになるのは、10年後です、と説明を受けた。

 年に一回、順繰りにその役回りになるらしいのだ。

 ぼくは、その10年後を思うと、憂鬱になった。

 10年後! そんな先のことを、本気で憂鬱に、憂えることができるのだ!

 すぐ経ってしまうことを知っているとはいえ、これは「自分に関すること」だから、些細なこととは思えなかった。

 実に、些細な、きっと、そんな大したことではないはずだ、とは思っている。

 総会で、自分はうまく立ち振る舞えるだろうか。会長になったら、うまくその仕事をこなせるだろうか。「近所づきあい」を自分はうまくできるだろうか。相手に不快な思いをさせず、自分も不快な思いにならず、そんな関係を保てるだろうか。

 そんなことばかりに不安に捉われ、そうなるともう、いやだないやだなでいっぱいになった。

 引っ越したい。でもお金もない。それにどこか引っ越したとしても、山の中で仙人のように暮らせない。必ず人間がいるだろう。町内会はあるだろう。

 …と、こうやって自分の憂鬱のタネを画面にバラまいてみると、何となくホッとする。頭の中で、ばらばらに不安になったいたタネどもが、言語化されて収まって、落ち着いた気にもなる。

 そう、ほんとにそんな、たいしたことではないんだ、とひとりで思えても来る。

 でも、やっぱり気の重さも残る。

 やれやれ、一体、何なんだ、ワタシは。

 人間はこわい。でも、人間と、笑顔で触れ合えたりすると、生きてて良かった、かのような気に簡単になる。

「いいカッコしい」(古いね)の自分がいるんだ。で、そうできるかどうか分からない不安が、とぐろを巻いて、自己窒息しそうになるんだ。

 10年後の不安!

 10年先のことに、今不安に苛まれていることを自覚したら、笑えてきた。

 だが、やはり気は重い。が、それが笑えることであることも、確かなのだ。

 どうもすみません。
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