第30話 マインドフルネス

文字数 1,754文字

 この頃は、瞑想… 呼吸をみつめる瞑想を、けっこうやっている。
 IntelやGoogleが社員研修で、この瞑想法を採用しているらしいが、べつにぼくは脳を活性化しようとか、打算的な、功利的な能力向上とか生産性アップのためにやっているのでは勿論ない。
 まったくその逆で、いかに自分をカラッポに、ごくシンプルに、何も考えないことを目指すふうに(そんな目的もなくせるように、あるいはそれをやんわり見つめられるように)やっている。

 ところで、このマインドフルネス。とにかく呼吸をみつめるだけである。
 鼻は、呼吸をするためにある。
 鼻から入った空気が肺に行き、肺に入った空気がまた鼻から出てくる。
 生きていれば、誰もがしている呼吸である。
 しかし、この瞑想をしていると、何十年も絶えずしてきたこの呼吸の気持ち(?)が、わかるような気になってくる。
 呼吸さん、スゴイ繰り返し、よくぞ毎日、毎分毎秒、してきたな、と恐れ入る気持ちにさせられる。
 これには、ほんとうに頭が下がる。頭を下げても、その肝心な相手はこの目に見えないが。

 マニュアルみたいな本によれば、結跏趺坐(よく仏像なんかがしている足の組み方)して瞑想するのがよいらしい。でも僕は体がカタくて出来ないので、それに近い

のかきかたでやっている。姿勢を真っ直ぐにし、アゴをひき、なるべく楽に、も心掛けている。
 時間にはとらわれていない。やりたい時にやり、やめようと思った時にやめる。
 目を(つむ)っていると、頭が、じつに絶えず、いろんな想念にコキ使われているのがわかる。
 いったい、何をそんなに考えているのか… としか思えなくなるような感じになる。
 これを「考え」と呼べるのかどうか。ともかく「考え」ているらしい。
「何も考えない」ほど難しいことはないことが、いたく感じられる。

 考えている、とは、そもそもどういうことなのか。
「あ、今考えているな」と意識した時、自分は考えていることになるのか。
 それとも、意識せずとも、頭は勝手に何か考えているが、それを意識しなければ「考えていない」ことになるのか。
 

は、スイッチであるのか?── つまり考えようとして、初めて「考える」電源がONになり、考えまいとすれば、そのスイッチはOFFのまま… だろうか。
 だが、そんなことも考えないのだ。そのために、瞑想をしている。理由をつければ。

 いろんなことが、頭を駆けめぐる。イヤなこともあった。そのイヤの象徴のように、キライだった上司の顔や、手抜き工事をしたリフォーム会社の社長の顔が浮かんできたりする。が、なるべくそれに

── というか呼吸を見つめることを意識すると、そんなイヤなことにも捉われなくなるような気がする。
 ああ、あんな人がいたな、あんなヤツもいたな、と、置き物のように、それをただ見て、通りすがっていくような気になる。ぼくが通りすがるのか、かれが通りすがるのか── ともかく呼吸をする自分を意識する。いや、自分が呼吸をしていること、もっと言えば呼吸が呼吸をしていることを意識する。その呼吸を追う。息の出入りを、道すじを、みつめる。

 べつに、横になっていても、それはできる。ただ、呼吸が「出入り」しやすい、こちらが「呼吸さま」のお手伝いをできる最善らしい姿勢が、「背筋を伸ばし、文字通り姿勢よく」することらしい。
 体をこわす前、不眠(寝つき)に悩まされたが、この瞑想のせいか、はたまた何か他に偶然の作用があったのか分からないけれど、寝つきがよくなった。夜中や明け方、トイレに行く以外はよく眠れている。

 自助、というのは、あたりまえ以前にあたりまえだったような気にもなる。
 なにしろ、この呼吸にたすけられて── しかもぼくをたすけようとする意思もなく、呼吸が呼吸をすることによって僕は生きてきた、生かされてきたように思うからだ。
「自」とは、まさに各自が、心臓さんであれ肺さんであれ、腎臓さんやら胃腸さん、さまざまに各自がおのずとそのはたらきをして、そうして繋がって、いのちを営ませているようにおもう。(不要といわれる盲腸だって、在る以上、ぼくには意味があるように思える)

 宇宙とか、世界とか呼ばれるものも、そんなようなもんじゃないか? と、ふいにおもう。
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