第135話 戦争についてのこと

文字数 2,314文字

 以前、イラク戦争の時だったか、「どうして戦争になるんでしょう?」といった質問に対し、大竹まことが「そりゃ儲かるヤツがいるからですよ」と、少し憤然とした様子で答えていた。ビートたけしの「TVタックル」だったと思う。その質問に憤然としたのでなく、儲かるヤツがいること、そして現に起きている戦争に対する、憤りのような感じだった。そうかぁ、と思いながら見ていた記憶がある。
 これは戦争とは違うが、現代の環境問題について、ラジオでデーモン小暮が「江戸時代ぐらいに戻らないと、ダメでしょう」と言っていた。もう2、30年前に聞いた言葉だが、印象に残っている。生活の仕方、人間じたいが生活を変えないと、環境破壊は続く一方だ、と。
 そうだろうなぁ、と思った。そして、もう戻ることはできないだろうな、とも思った。

「戦争を起こさないようにするには」については、戦後文学の椎名麟三が「とにかく

、起こさないようにする。

、われわれが生きているあいだは、起こさない。今、起こさない。今、起こさない… この『今』を、続けていくこと。われわれが死んで、次の世代になっても、『今われわれが生きている間は戦争を起こさない』、これを続けていくこと、繰り返していくこと。先へ、先へと伸ばしていくこと、これしか出来ないんじゃないかしら」と、何かの戯曲で登場人物に言わせていた。

 また、仏典によれば(ぼくは仏教徒でも何でもないが、ブッダに関する本は結構読んだ)、マリッカ王妃とその王様が、月夜の宮殿のバルコニーみたいなところで「わしはこの世で自分しか愛せないのだ。きみはどうだ?」「わたしもです、この世で、わたし以外に愛しいものはありません」という、シュールな感じの描写がある。翌日、シッダールタのところに王様が行って、「昨夜、私ども夫婦はこんな会話をしました」と報告した。こんな自分たちでいいんでしょうか、という疑念を半分ぐらい、抱いて(いたと思う)。
 すると、あの偉いお坊さんは、「それでいいんですよ、王様。だれもが、自分を愛しているのです。だから、人と人は、(あや)め合ってはならないのです」と応じた、という話がある。
 自分を愛する自分は、誰もが持っているのだから、その自分を殺すことは、自分自身を殺すことになる、だから人を殺めてはいけないのだ、と、ちょっとややこしい解釈をぼくはした。
「なぜ人は人を殺めてはいけないのか」という、20歳くらいからのぼくの疑問に、少し

ような感じで、その説話を読んだ記憶がある。

 戦争について── 感情的になるのは簡単だ。その感情、憎しみとか嫉妬とか、そんな感情が、ひとを殺めさすとしたら、自分が感情的になった状態のままでは、その刹那的な感情において「殺人者」と同じような位置にいる、ということになる、と自覚せられる。論理、というと、また少し冷たい感じがするけれど、「ひとを殺めたい人」を説得する、相手に納得してもらえるような、チャンとした言葉を、持てれば… 持ちたい、とは、もう30年ぐらい、思っていた。望んでいた。

「人間は論理、言葉で考えている」という、大江健三郎の言葉は、ほんとうだと思う。
 合点がいかない、納得できない。そんな時、個人の中で混乱が起きる。
 合点がいかない、納得できないということは、つまりはその人の中で辻褄が合わない… 整理できないということは、無意識に論理的に考えている(考えようとしている)からだとぼくは思う。
 で、つまりそれは「自分の思い通りにならない」ということに通じてしまうと思うのだが、その「思い通り」、「思い」のなかに、すでにその人にとっての辻褄、論理みたいな「正義」に似たようなものが出来上がったりしていて、その思いを通そうとして、まわりとのイサカイ事が起る── 個々人に個々の正義みたいなものが、それぞれにあるのだから、と思う。

 また、これは飛んだ話になるが、「陰謀論」的なものもあるらしい。宇宙人(レプリティアン?)、まぁ「未知なるもの」、一般市民は知る由もなく、極々一部、ほんの一握りの、でも強い強い権力を握っている人間(為政者?)は、その地球外生物的なものにコントロールされていて、アメリカの大統領もその操り人形にすぎない、的な説。まぁ確かに人形みたいだし、と思うが、ちょっとこれは現実的でない。
 何か大いなるもの、大きなものが、人間を、世界を動かしているような気はするが、それを宇宙人とするのは、どうかと思う。
 … と、今考えられる、戦争についての頭の中を、思い浮かぶことを書いてみた。
 椎名麟三の、「先へ伸ばしていく」、「

、戦争を起こさない」ということを、次の世代も次の世代も、できれば受け継いで、そして地球も生命なのだから、いつか星としてその生命が終わるまで、自然環境や人間、国と国との関係も、おだやかで、平穏であってほしいと思う。
 戦争を起こさない社会、世界にするには、には、「椎名説」をぼくは推したい。
 ただ、どうしても暴君が現れる時… この「戦争を

起こさない」も、簡単に破られてしまいそうだ。
 すると、「罰則」のようなものが必要になってくる。法規でがんじがらめにされるところにだって、それを脱け出し、悪事をはたらく… 「悪知恵」の本領発揮を魅せようとする輩が出てくるだろう。
 法律でいくら厳しくしても、やっぱり戦争は止められない気がする。いや、そんな「法」が細かく、できればできるほど、それはこの世が悪くなっていることを意味するのだ。

 今、書けるのは、こんなところです。うー、チキショウ、って思うなぁ、どうしてか。
 でも、これからも、何か書いていきたい。いきたいです。
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