第187話 自分の場合は、を書けば

文字数 2,022文字

 やはり登校拒否体験が大きかったろう。
 自分であることが、認められなかった、といっていいだろう。まわりから認められず、自分も、自己否定をずっとした。
 それが、たまたま世の中に不登校児が増え、「だめな自分」が「元不登校児」になって、不登校児をもって困っている親御さんの会で自分の体験を話すようになった。あのとき、たまたま大検から大学に行っていたから、もし無職のままだったら、だめなままだったのだろう。いわば、ぼくはだめな自分の正当化に成功した、ということも言える。だが、自分の本質は変わっていないのだ。

 この自己否定癖は、ほとんど習慣になっているようだ。自信がないのだ。この自信がないという点では、ひどく自信をもっている。
 だが、自信がないという自信だから、根本のところは自信がない。そのくせ、自己正当化に成功したものだから、どこかで自分は正しいと思っている。だが、これも、自分はだめだと骨の髄まで知ったことを土台にしている。
 まったく、自分は絶対に正しい、と言えることといえば、ここにコップがある、皿がある、ということぐらいだ。

 そしてないものねだりが得意である。結婚しているときは独身にあこがれ、独身のときは結婚にあこがれた。また、常に矛盾している。Aと言えば、Bのことがもう心に浮かんでいる。A!と断言することができない。そして、AとBを両立させることはできない。Cが出てくるし、するとDも顔を出す。かくて、頭の中はこんがらがりどおしになる。
 一本一本の線を、独立したものとして考えることができない。それは繋がっている、と直感で知った気になっている。そしてこの気が確かだと思っている。
 おまけの人生、とも思っている。とうに、死んでいても、おかしくなかった。否、死ぬべき人間だと思ってきた。その時間が多かったのは、「慣れ」に起因すると思う。あの自己否定、自分は認められないという、この思考に慣れてしまったのだ。そして、しかし、そんな自分に慣れたから、まるで今まで生きてこれた、ということも言えるのだった。

 絶対を絶対とする自信家に、どこか哀れげな目線で見てしまうのも、自分自身を哀れに見ている心理の裏返しだろうと思う。疑い深いのだ。そのくせ、信じ易いところもある。そして信じた自分に裏切られる。

 こないだ「戦争について考える」を書いていて、凶暴な大人の出来上がりは、子ども時分の、解放されなかった自己に起因する、ということを小説チックに書いてみた。
 あの暴君ネロが、セネカという、世間的には素晴らしい教育者に恵まれながら、その残虐性を押し込めることを教えることができなかったのは、それがネロの本性だったとはいえ、子ども時分にその本性を解放させてやれば、大人になってからあんな暴君にはならなかったのではないか、と思ったからだ。
「暴力はいけません」といくら教えても、有り余るパワーをもった、エネルギーに満ちすぎる、ある特性をもった子ども(ぼくはそういう子を二人知っている)には、頭ごなしな重い抑圧にしかならない。小さな子どもの暴力なんて、可愛いものだ。抑制されたものは、鍋の中でぐつぐつ沸騰を続ける。大人になった時、その重いフタは内側からはじけ飛ぶ…

 ぼくにはそんな、外へ向かう攻撃的なパワーはなかった。ただ、自己否定するだけの力だけはあった。もしあの時、と、人生に if はないにしても、肯定されていたら、どうなっていたか。
 あの絶対を絶対とできるような、懐疑者とは程遠い、絶対的な人生航路を渡れるだけの人間になっていたかもしれない。
 そしていつか、この絶対は絶対ではなかったことに気づき、絶望してほんとに自殺していたかもしれない。自信というのは、崩れるためにあるようなものだからだ。

 人生、ままならぬもの、というけれど、自分の生がままにならぬのだから当然だ。人生なんて大仰な言葉は用いず、自生を、とよく思う。
 しかし自己否定。
 何か外的なものを否定することから自我、自己はうまれる。とすると、自己を否定するということは、自己の萌芽の芽を摘むということになるのだろうか。その、摘む者は、外的な影響がきっかけとはいえ、しかし摘む者は他でもない、この自分自身なのではないだろうか。
 そしてこの自己の敷地のなかで、芽は、一つではない。あちこちにツンツン出ていて、密生し、それらは間引きされたり、枯れたり、また伸びだしたりする。
 何かの外的対象に向かって、内側からそれは伸びていく。自分の場合、それが子どもの頃の学校であり、内へ向かうきっかけであり、そのときの自我が年月を経て幹になっていったように見える。
 たまたま落ちたタネが、そこに根付き、もうそこから移動できない植物のように、きっと誰にでも、そういう土壌があるんだろうと思う。
 そして微細な変化を、土のなかで、あらわになった枝葉のなかで、きっと続けている。まるでそれが生きることであるかのように。
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