第198話 ホントウに絶望している時は

文字数 1,302文字

「ほんとに絶望してる時って、ガンバレとか前向きにとか、そんな本読めなかったんです」
 ── 先日、「ラジオ深夜便」で、ある作家の方が話していた。(名前失念)

 そうだよなぁ、と思った。

 自分だって分かっている。でも、そんなふうになれないのが、ほんとに絶望してる、ってことなのだ。
「そんな時、読める本は、この人も苦しんでる、って分かる本でした」

 やっぱり、そうだよなぁ、と思った。

 自分と照らし合わせる。
 ひとりでないと知れること…
 そう、絶望してる時、ほんとに孤独になる。この世ではもう生きて行けない気になる。

 そんな時、上から手を差し伸べられて、「さあ、歩け」なんて言われるより、ああ、この人も孤独なんだ、苦しんでるんだ、と分かる本の方が、よっぽど僕には励みになった。

 自分を吐露しているような文章。その人が、その人自身のために書いているような文章。それは、読んでいてほんとうに心に入ってきた。

 今や、そういう文とはなかなか巡り逢えない。いや、今に始まったことではないかもしれない。
 商業主義、お金第一みたいになって、またいかに多くの人に読まれるか、ばかりに方向が行ってしまったように思える。

 精神病? 病んでる心はどんどん細分化されて、その名称は覚えられないほどだ。
 こんなに「〇×障害」「〇×症」などがあったら、ほとんどの人が病院に行けば病気になりそうだ。

 そしてその病気がまた、語弊があるが「売り物」になったりする。
 それでご本人が満足なら、ほんとに全然構わない。

 だが、評価を受けての満足、評価を狙っての発信、どこまでも「評価されること」ばかりに重きをおいては、ウソのようになるだろう。
 自分の足でない、いわば他人の足で立とうとするようなものだから。

 そういうものでない、どこまでも自分に向かうベクトル、自分の足を見つめるベクトル、そこから始めないと、きっとどんどんうつろい、いよいよ自己喪失、人の評価ばかり気にするようになってしまう。

 僕だって、評価されれば嬉しい。評価されたいと思う。でも、それを求める自分とは何だ、と思う。なんでそんなことを気にするんだと思う。
 ほとんど、自分との闘いだと思う。軽薄に喜ぶあさはかさ、その喜びをまた求めたいとするおバカな脳(脳?)…

 ヒトは、言葉で考えているという。ただ頭の中だけでは、あまりに漠然としている。それを書く作業によって、初めて客体化、客観化される。そこに「人の目」が介入し、気にするのは当然だろう。

 でも、「こう書けば評価されるだろう」といった意識が強くなってしまうと、もうダメだ。
 あくまで自分の場合だが、ウソ、虚飾の方向へ行ってしまいそうで、そこからは何もうまれない、何のためにもならない、ほんとになんにもならない不毛さばかりが目についてしまう。

 前記と少し被る内容になってしまったが、個人を批判する、否定する気は全然ない。とにかく「流れ」が気になって仕方ない。この世の流れとでもいうのか、「こうすればいい」というような流れ、みんな(みんな?)が流れていくような流れ、流れとしかいえないような流れが…
 そんなもんじゃないだろう。と、まだ言う。
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