第390話

文字数 1,333文字

 だから平和が幻想であるなら、戦争も幻想なのだ。そっちを選び、具現化した場所に、災厄の火が降りかかるだけの話だ。ならば同様に、こっちを選び、具現化したらば平和になる、という話にならないのは?
 一人一人の心が平和であれば平和な世になる、2×2=4ほどに簡単な話だ。ところが、そうならぬ。
 それを望んでいるからだ、人間が。争いを。よく自分の心を見りゃ分かる。他人より秀でたい! 自分がイチバンになりたい! 俺の、私の、頭の中を皆に見せたい! そこから心がトコトコ歩みだしたら、そりゃ争いの萌芽、あちこちに根づく。地雷だ。撤去作業は、自分にしかできない。
 けっこう気持ちがいいものだ、地雷除去作業は。イチバンになるより、気持ちよい。言葉にするより、気持ちよい。言葉なんて、たいしたものでない、そのたいしたものでないもので交流しなければならんことに、ヒトの悲惨が、労苦がある。べつに、なくてもいい労苦。
 こてこて、美辞麗句の粘土を作ったって、ほころぶよ。ほころびだらけだ。それをまた繕う! 永久運動だ。
 言葉なんかよりだいじなもんがあるんだ、そいつを、その中心点からしか、何も始まりゃしないんだ。
 こぼれた動作、所作、一言、目線、ちょっとした仕草… こいつらはぜんぶこぼれたものだ。表象でしかない、一滴の露、顕われ、中心部から落ちたカサブタ、漏れものにすぎない。
 たいしたもんじゃないんだよ。この生命にしても、長い長い、人間のつくった数字なんかじゃ表せないほどの生命のうちの一つでしかない。こんな一生なんて、この地が、地球ってやつがのせてきたとんでもない数の生命の、とんでもない一部、一塵にすぎぬ。そんな塵が何を言ったところで、言うことはみんな同じようなもんだ。考えることも、見る夢も、言うこと為すこと、似たり寄ったりだ。
 といってそいつを、たったの塵を、粗末にすることはできない。なぜってこの世界、この時間、この世、ここにムダなもんなんて何一つないんだから。なるようにして、なってきたんだから。無益も有益も、そもそも、そんな価値観で、世界、あるわけじゃないんだから。2×2=4じゃ、生きれないんだから、こんな数式を作りだす人間ってやつは、殊に。
 平和を乱すのは自分じゃない、まわりの野蛮な奴らのせいだって?
 そんなまわりの影響に、単純に吹き飛ばされるのは何だ? 結局、お前の心じゃないか。せいぜい、そんな表象に踊らされぬよう、「私の心」を守った方がいい。お前にしかできない作業だ。
 まわりに発見すべきものはない。それは蛇口で、ひねるのはお前だ。邪悪な水、清楚な水… 選ぶのはお前だ。邪に楽しむも、清に楽しむも、一人一人の自由だ、存分に楽しもう、思い残すことなく。
 もう、いっぱい楽しんだよ、腹黒さ、邪気、汚濁の水に! ありがたいもんだった、それはそれで。
 ただもう、繰り返したくないな。
 時間は繰り返す、生活も同じことの繰り返しだ、その中でも、繰り返さぬこともできる… この心、たった一つの所作、目に見えぬ所作、意識、微妙な心の動きを見ることで。こいつは、こいつだけは、《まわり》でない、表象でない。
 顕微鏡も高価で高性能な物も要らぬ。誰にでも完全に備わっているものだ…
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