第347話 約40年

文字数 939文字

 兄にTEL。「来月もうかがいます。」
 都合のわるい日はないので、と兄。
 なんか嬉しそうだった。セリーヌのことを話す。いい本は、ほんとうに生き甲斐になる…
 今朝、「なしくずしの死」も注文してしまった。
 何か、ピンと来てね。お、すごいですね。
 食事の話、またセリーヌの本の月報に椎名麟三も書いていたことも話す。
 椎名麟三もセリーヌ読んでたんだ。うん、似てるもんね。
 何て書いてましたか。「セリーヌは人間を愛しすぎていたのだ」とか書いてあったよ。兄、大笑い。
 サルトルに影響与えたようですね、実存主義という…。

 こないだ気づいたのだが、兄とこんな親密に話すのは、約40年ぶりだった。
 私が17の時、兄は結婚した。(15歳、年上)
 兄はいつも、誰に対しても「です、ます」調で話す。

 その結婚を機に、私は何か「兄を、お嫁さんに取られてしまった」気がした。別世界に行ってしまった。兄との部屋、一枚の引き戸は壁になった。
 受験勉強、大学、アルバイト… 私も結婚したりして、ほとんど約40年、兄と話なんかしてこなかった。小学を卒業するまで、よく遊んでもらっていた。私の読書・音楽の傾向は、だいぶん兄の影響を受けている。
 そのお嫁さん、義姉の死から、また幼少の頃のように兄との時間を過ごす…

 お姉さんの死を、悪用してるんじゃないか、って思う。お姉さんが亡くならなかったら、こんな、板橋に来ていない…。こないだ、正直に思うことを言ってみた。
 いえ、わたしは嬉しいですよ。長年連れ添った妻をなくし、ひとりになった兄を大変と思って、哀れんで、励ましに、来てくれるんでしょう、ミツル氏は。悪用、と思うのは自由ですが、わたしは嬉しいですよ。ニヤニヤしながら兄が言う。

 セリーヌも、兄がいなかったら知らない作家だった。これはほんとうに面白い。ご教授いただいて、ありがとうございます。いえいえ、わたしこそ、料理の教授をしていただいて、と兄。いや、ぼくにはこういう本が必要だったと言うと、ああ、よかった、と笑う。
 そう、セリーヌからは、勇気をもらえる。料理、食べることより、自分に必要な。
 セリーヌを知れると知れないとでは、大違い。
 なしくずしの死… ああ、しかし、ほんとうに、死というやつは。死というやつは!
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