第149話 多数決をしない学校

文字数 1,610文字

 昨日のラジオ。くだらないのが多いなぁと感じながら、面白そうな放送を求め、ダイヤルを回す。と、落ち着いた口調で、何か話している番組に逢着。
「みんなで行事を決める時とか、多数決で決めないようにしています」と女性の声。
「一人でも、反対する子がいたら、なぜ反対なのか、理由を聞きます。今の大人の社会がそうですけど、多数だからって、それが正しいわけではありません。なぜ反対なのか、って理由を聞くと、(その行事の日に)塾があるからとか、(その行事の時間は)家でご飯を食べる時間だから、とか、理由を言ってくれます。で、今度は、それについて、じゃあどうしたらいいか、ということを、子ども達が意見を出し合う、って感じです。いろんなアイデアが出て、子どもって、われわれ大人が考えているより、大きいんですよ」
 というような話。
「大きい」というのは、発想とか、柔軟さ、「広さ」と換言できるようなニュアンスに感じられた。

「大人、親は特に、こどもに『こうあってほしい』って思いますね。大人がつくった枠に、『こうしなさい』って、はめようとするんですけど、でも子どもって、そんなことされなくても、自分でつくっていけるんですよ」
 というようなことも言っていた。
「そういう環境で育つと、大人になっても、一人一人に寄り添える、相手の立場になって考えることができるようになりそうですね」
 と、アナウンサーが相槌をうつ。
 こういう環境が増えていけばいいなぁ、と思いながら聞いていた。
 午後七時台か八時台の、NHKだったと思う。

 また、夜中の三時、四時台には、重い話が聞こえてきた。もう、40年近く前になるのか、あの御巣鷹山に旅客機が墜落した、その遺族会…遺族、という言葉は違う、という思いもあって、「連絡会」とした、事務局長のお話だった。
 お子さんを、あの事故で亡くされたお母さんとして、でも事務局長もなさって、精神障がい者支援施設も立ち上げられたという。
 あの航空機はアメリカでつくられたそうで、あの事故の原因を究明しようとするとき、それも大きな障壁となって、長い長い時間がかかって、というお話、お子さん、九歳の息子さんを、あの旅客機に乗せてしまった、その自責、つらい、つらい時間を、過ごされてきたことが、聞いていても、つらかった。
 だが、その息子さんの隣りの席に座っていた、少しだけお姉さんの女の子の親御さんから、うちの子は、子どもが大好きな子だったので、きっと息子さんの手を握ったりしていたと思います、というお手紙か、連絡をもらったという。
 お嬢さんを亡くされたのに、悲しみでいっぱいなはずなのに、励まそうとしてくれている、そのことが、沁みたりして、とにかく、がんばって来れた、というようなお話もされていた。

 何か、戦う、航空会社と戦う、という姿勢でなく、淡々と、あの事故でいなくなってしまった家族、いなくなってしまった、その悲しみ、今、こういう状況である、ということを、会社側に「わかってもらう」というような対話を続けてきた、というお話もされていたと思う。攻撃的な、対決姿勢でなく。

 ぼくに、ひどく印象に残った、というか、うん、印象に残ったのは、「利益・効率ばかりを追い求めては、悲しみを知る心を失ってしまう」という言葉だった。
 そして、悲しみというのは、じつは、大切な、… 悲しみというのは、たいせつなものではないか、という… 悲しみを、大切にできないと、愛することもできないんじゃないか、という、言葉だった。
 悲しみというのは、愛に、つながっている、つながっていく、ということ。悲しみを、しっかり受け止め、ふかい悲しみは、ふかければふかいぶん、愛につながっていくんじゃないか、という、そういう言葉だった。

 つらい話だったけれど、聞いて、よかったと思う。

 利益、効率ばかりを追っていては、悲しみを、知らなくなってしまう。
 この言葉が、胸に強く入った。
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