第192話 意識
文字数 1,512文字
さて、自主企画的な「戦争について考える」の応募期間(?)は昨年末で終わったけれども、これについて考えることは終わっていない。
個人的な面と社会的な面、この二つの面を、たぶん誰でも持っていると思う。
いずれの面も、一つの自己が抱えていて、その自己は、意識によって支えられている。
社会的といえば、たとえば会社内や家庭内などにおける自分の立場であり、「まわりと比べて」できあがる意識、と言っていいだろう。
そして考えてみれば、自己というのは、他者を鏡にしてのみ存在する意識、と言えるだろう。
この社会、世界が存在し、またその中にしか自分は存在できない。
「社会的な動物」という言葉が、それこそ社会的に認められたのは、人ひとりひとりが自己の内にその意識を持っていたからだろう。
「個人的」というのは、その対語といっていい。
家庭や職場の中における自分の「位置」(の意識)から解放されたところ。
ひとりになれたところ、と換言できるかもしれない。
それも「ひとりでない」があって、初めてひとりになれるのだが。
身のまわりを見れば、いわゆる戦争は起こっていない。武装した兵士もいない。が、それはこの世界の、いわば半径1.5m内のことで、その大枠にはロシアがあり中国がありニッポンがあり北極南極があり、要するに地球がある。このワクからハミ出すことはできないのだ。
半径1.5mの中で、ぼくなんか喘ぎながら生活している。「自分のことで精一杯」というやつだ。
でも、それも意識がそうさせていることを、ぼくは知っている。稚拙な例だが、工場のライン作業など、疲れたなァ、やりたくないなァと思っていても、身体が自然に動き、仕事はできてしまう。
頭の中はカラッポでも、身体が覚えているからだ。
「これは大変だ」と頭がインプットすると(それを意識といっていいかもしれない)、身体がホントに大変になる。
そして身体は頭よりアタマが良さそうで、チャンと自分を守るようにできているらしいのだ。
で、なるべくラクな方向へ、意識が飛んでいく。この時、頭は身体に追従している。何も考えなくなるというか、好きなことを考えたくなるのだった。
ほんとに稚拙な例だったが、そんなふうに今回の「戦争について考える」にぼくは向き合っていた。
つまり、ほとんど本能的にそれは二十歳の頃から考えていたことだったが、実際に戦争が始まり、さらに考えることが多くなった。
それを考えることは、つらいことだった。まして、文章にすることは。
でも結局、身体が求めたのだと思う。一種の、ハケグチである。この「戦時下にて」も、そんなところから始まっていただろう。
ぼくにはあまり友達がいないから、同じテーマで書き合える作者さんとの交流が、心強くもあった。
話を戻せば、二十歳の頃は戦争について語り合える仲間がいたが、五十も半ばになった今、そんなことを話し合えるのは家人一人だけである。さらに言えば、ぼくはひとりでいる時間が多い。いわば個人的な世界に入り浸って、社会的な世界から脱落している(という意識を持っている)。
その意識が、自分でもつらかった。それが、書くことで解放された、と言っていいと思う。
いろんな意識が、自己という個体から生み出される。
「もっと大切にしてくれよ」と、この生命を宿している身体から、モンクをいわれることもある。
この身体の天辺に付いている頭は、自分を苦しめることも多いが、ラクにすることも少なくない。
それが自由というものだ、とアタマさんが言う。
ラクな方へ行くも、苦しい方へ行くも、自由だ、と。
そして身体は知っている。その作業の進め方を。
そんな意識で、イキテイル。
個人的な面と社会的な面、この二つの面を、たぶん誰でも持っていると思う。
いずれの面も、一つの自己が抱えていて、その自己は、意識によって支えられている。
社会的といえば、たとえば会社内や家庭内などにおける自分の立場であり、「まわりと比べて」できあがる意識、と言っていいだろう。
そして考えてみれば、自己というのは、他者を鏡にしてのみ存在する意識、と言えるだろう。
この社会、世界が存在し、またその中にしか自分は存在できない。
「社会的な動物」という言葉が、それこそ社会的に認められたのは、人ひとりひとりが自己の内にその意識を持っていたからだろう。
「個人的」というのは、その対語といっていい。
家庭や職場の中における自分の「位置」(の意識)から解放されたところ。
ひとりになれたところ、と換言できるかもしれない。
それも「ひとりでない」があって、初めてひとりになれるのだが。
身のまわりを見れば、いわゆる戦争は起こっていない。武装した兵士もいない。が、それはこの世界の、いわば半径1.5m内のことで、その大枠にはロシアがあり中国がありニッポンがあり北極南極があり、要するに地球がある。このワクからハミ出すことはできないのだ。
半径1.5mの中で、ぼくなんか喘ぎながら生活している。「自分のことで精一杯」というやつだ。
でも、それも意識がそうさせていることを、ぼくは知っている。稚拙な例だが、工場のライン作業など、疲れたなァ、やりたくないなァと思っていても、身体が自然に動き、仕事はできてしまう。
頭の中はカラッポでも、身体が覚えているからだ。
「これは大変だ」と頭がインプットすると(それを意識といっていいかもしれない)、身体がホントに大変になる。
そして身体は頭よりアタマが良さそうで、チャンと自分を守るようにできているらしいのだ。
で、なるべくラクな方向へ、意識が飛んでいく。この時、頭は身体に追従している。何も考えなくなるというか、好きなことを考えたくなるのだった。
ほんとに稚拙な例だったが、そんなふうに今回の「戦争について考える」にぼくは向き合っていた。
つまり、ほとんど本能的にそれは二十歳の頃から考えていたことだったが、実際に戦争が始まり、さらに考えることが多くなった。
それを考えることは、つらいことだった。まして、文章にすることは。
でも結局、身体が求めたのだと思う。一種の、ハケグチである。この「戦時下にて」も、そんなところから始まっていただろう。
ぼくにはあまり友達がいないから、同じテーマで書き合える作者さんとの交流が、心強くもあった。
話を戻せば、二十歳の頃は戦争について語り合える仲間がいたが、五十も半ばになった今、そんなことを話し合えるのは家人一人だけである。さらに言えば、ぼくはひとりでいる時間が多い。いわば個人的な世界に入り浸って、社会的な世界から脱落している(という意識を持っている)。
その意識が、自分でもつらかった。それが、書くことで解放された、と言っていいと思う。
いろんな意識が、自己という個体から生み出される。
「もっと大切にしてくれよ」と、この生命を宿している身体から、モンクをいわれることもある。
この身体の天辺に付いている頭は、自分を苦しめることも多いが、ラクにすることも少なくない。
それが自由というものだ、とアタマさんが言う。
ラクな方へ行くも、苦しい方へ行くも、自由だ、と。
そして身体は知っている。その作業の進め方を。
そんな意識で、イキテイル。