第122話

文字数 1,396文字

 さて、きみは家をつくった、「誰でも出入り自由」を謳ったモデル・ハウスだね。出入り自由といいながら、きみは閲覧者を限定した。きみ自身が一見、とっつき易そうな容貌をしながら、じつは頑固で気難しい気質そのままのように。言語を塗り立て、美辞麗句の装飾をし、ときに理論武装する、掘っ立て小屋だ。中身のないきみは、それを自分自身とカンチガイし、「これが自分だ」と公開した。きみ自身は何でも、誰でもなかったのに、それをきみだと限定した。
 その言葉づかい、物腰、文体とやらは、「出入り自由」といいながら、内覧者を限定した。きみの内容は解かり難く── 「わかる人にだけわかればいい」というスタンスだった。あの哲学者、この哲学者をダシにして、彼らは他者より自己に重きを置いた、だからあれだけの文を書けたのだ、他者に重きを置くべきでない、と、それをきみの設計図にして。

 きみがきみを、そう限定したことで、きみは読者も限定する。「読者対象は人類」などと、よく言えたものだ。実は狭隘な、せますぎる一方通行の路地だ。誰も、きみの建てた家にさえ、気づかない。
 きみの世界は、きみがきみだと思った場所そのものが、まるで一般と異なるようだった。きみ自身が異邦人だったのだ。もの珍しげに、たまに通りすがる者がいる。でもそれだけだよ。大抵は、人のために、他者のために、「家」はつくられている。きみにはサービス精神がない。自分の居住地としか考えていない。思いやりのカケラもない。だから「自分が自分が」の、きみ自身げんなりする主語ばかりに埋められ、エッセイだの恋愛だの社会思想だの、ジャンル別に区分けした部屋を設けたとて、何の変哲もない、同じつくりの狭い部屋ばかりをつくったことになる。

 迷路みたいな構造にして、どうなるね。きみは迷いたいのだろう。でも、そんなややこしいものは、疎ましいだけだよ。わかりやすい、明朗な、使い勝手のいい、生産的なものを、きみは書くべきだった。提供すべきだった。みんな、疲れているんだよ。憩いの場として、家はあるべきだ。人を、迷わせて、どうするね。
 この一画に、きみという家を建てて、一年半? まだ、何か内装を施すつもりかね、懲りもせず。考えさせるような、鬱陶しい造りにするのは、もうやめたまえよ。自分なんて、なかったのだよ。
 自分の一生を書けば、誰でも小説は書ける。きみは誰でもできることを、してきただけだ。何も、特別なことではなかったのに、さも特別そうにして。まだ、何か書こうというのかね。よろしい。書けるところまで、書いてみな。ただし、あれだよ、読まれることを期待しちゃいけないよ。きみがしばらく、そっちの方向で行こうというのなら…。

 むかし、ニューヨークにストリート・ミュージシャンがいた。一人はカリブ海からやって来た少数民族、一人は日本人。二人は駅前に座り、道行く人に向かってギターを弾き、唄った。でも誰も振り向かない。二人は失望しながら、それぞれのお国の音楽を、おたがいのために演奏し始めた。カリブの人は、陽気な、ハジケるような音楽。日本人は、演歌。通行人のことを気に留めず、二人、向かい合って、おたがいだけのために唄った。
 すると、いつのまにか人だかりができていた。さかさまに置いた帽子の中には、硬貨や紙幣がチャリン、パラパラ。二人、「ナニコレ?」と驚いた。
 そんなふうで、ありたいと思う。
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