第191話

文字数 1,451文字

 しかし… 人にもよるのだろうけれど、コンピューターというのは、ずいぶん人に、いわゆるストレスを付加させるもののようにおもう。
 慣れの問題もあるだろう。うまく使いこなせるようになれば、これほど便利なものはない、となるのだろうが。
 もし右脳が直感の働きをし、左脳が思考であるとしたら、左脳ばかり使うことになる。
 macの方が直感が効く、というのも分かる気がする(家人はmacを使っている)。Windowsは、たしかに使いづらいかもしれない。まぁ、欲をいったらキリがない。

 だいぶ前に「ふぞろいの林檎たち」というドラマの中で、夫が一人、暗い部屋の中でカタカタとカーソルを打ち、妻がドアから淋しそうに出て行く場面があった。
 三十年位前のドラマだったが、妙に印象に残っている。パソコン画面からの青白い光に、夫のかけているメガネが反射して、つめたい機械人間みたいな夫を演じていたのは── 誰だったっけ。

 山田太一というのは、面白い脚本家だった。
 大石静も好きだったが、今はどんな作品をつくっているんだろう。一作つくるたびに、もう動けなくなって、病院で点滴をうけるという… おとなしくて可愛らしい顔立ちなのに、すごい情熱の持ち主だった。

 宇崎竜童は今も毎日、必ず楽譜に向かっているという。絶対すごい曲をつくってやる、そんな情熱が枯れていないそうだ。ちょっとでも、前へ進めればいい。ちょっとしか書けなくても、それでいい。とにかく向かうのだ、と。

 方向性というものがある。
 ユーミンみたいに「とことんバカになってやろうと思って」ゾウにまたがってステージに登場したり、「絶対売れてやる」方向へ行く人。最初は、つくるだけで、表に出ない方向へ行っていたらしい。
 かと思えば、インディーズに走って、わかる人にだけわかればいい、という方向。
 今は誰でもネットで自己表現ができるかのような時代だから、結局わかる人へ向けて発信する、が基本になるのかもしれない。
 そして人は変化する。

 先日、おもしろいコメントを見た。「朝まで生テレビ」で、田原総一朗が出演者の女の子に「スタジオから出て行け!」と激怒したらしく、それについての意見だった。(その女の子とは、あとで仲直りしたそうだ)
「田原さんは、前衛的なところが魅力の人だった。でも今はもう情報の流れが早い時代。前衛も何もなくなってしまって、もう田原さんの存在価値は…」というような意見。
 まだ「朝まで…」がやっていたことに驚いたが、たしかに90年代?辺りのあの番組はおもしろかった。
 野坂昭如や大島渚、かなりコダワリのある人が、やたら熱く激論を交わしていた。小田実もいたっけ。
 ウヨクとかサヨクがハッキリしていそうで、大江が「セブンティーン」や天皇のことを書けたのも、時代を度外視できないだろう。そして勇気が要ったことだろう。

 今は、ほんとによくわからない。
 なんか、おじいさんの昔話みたいになってきたから、もうやめる。
 そういえば、田原総一朗は大江健三郎の出現によって、「こりゃかなわん」と文学をあきらめたとか。ほんとは、作家になりたかったらしい。

 漱石の「それから」のラストシーンを思い出す。

『 タバコ屋の暖簾が赤かった。
  売出しの旗も赤かった。
  電柱が赤かった。
  赤ペンキの看板がそれからそれへと続いた。
  しまいには世の中が真赤になった。
 「ああ、動く、世の中が動く」 』

 いつの時代も、素晴らしい時代なんてなかったんだろうけれど。

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