第5話 小旅行記(2)

文字数 2,171文字

 実家に着けば、義母の認知症が進んでいることに驚いた。数秒前に言ったことを、すぐ忘れてしまうのだ。義父が、そのたびにイライラして、厳しい口調で注意する。お義母さん自身も、「わたし、頭がおかしくなっちゃったから。あわれだねえ」などと言って、自分の頭をたたいたりする。
 これは、つらかった。夫婦、仲良く…などと、言えない。お義父さんもまじめに注意し、お義母さんもまじめにその時は聞いているのだ。
 お義父さんが、つれあいと病院に行っている間、お義母さんと買い物に行く。シャンシャン歩いてくれるけれど、もし転びでもしたら、と思うと気が気でなく、手をつないで一緒に歩く。
 無事に買い物を終え、帰ってから掃除機をかけ始めると、お義母さんも、何かしなくちゃと思ったのか、エプロンをつけて、何か働いていた様子。
 庭で草取りをしていると、お義母さんも、あら綺麗になって、とか言って、庭に出てくる。
 天気も良く、ふたりで玄関先に立ち、沈丁花が咲いてますね、とか、気持ちがいいですね、とか言って、ふたりでひなたぼっこしていると、義父とツレアイがちょうどタクシーで帰ってきた。
 みんなでピザを焼いて食べ、また僕はタバコを吸いながら草取りをし、つれあいは自分の部屋で休み、義父は居間でテレビや新聞を見、義母は何をしていたのか、それぞれの時間が過ぎる。

 夕方になれば、「ニコニコ弁当」という高齢者用のお弁当が配達される。僕らが家に着いたのは6時頃で、「お昼、食べた?」とツレアイが両親に聞いていた。
「食べたかしら」「どうだったかなあ…。食べたと思うよ、食べた」
 お義父さんも、お義母さんほどではないが、それなりにモノ忘れをする。
 食べていなかった。お昼に配達されたお弁当が、そのまま保冷バッグに入って台所のすみに置かれていた。
 東京に住んでいる義姉が(会社の役員のような仕事をされている)、週に何回か来ているようだが、さぞご心配だろうと思う。ツレアイは老人ホームに入れようという意見だが、お義姉さんとしては出来る限りのことをしたい様子。
 施設に入れると一気に認知症も進行するような気もするし、住み慣れた家でのんびりやってほしいけれど、老々介護にも限界がある。いっそ僕が平日、世話をさせてもらって、週末に義姉、というふうに交代でしたらいいかと考える。が、ずっとそんな生活が続くか。ムスコでもない僕に、気を遣う感じだし、それは気の張りになってシッカリされるように見えるけれど、僕がいなくなったあとの「反動」も怖い。パート勤めをするツレアイにも持病がある。

 冒頭に書いたが、義母の「おかしな言動」に、義父が怒るように注意する。これは、仕方のないことだと思う。毎日、毎時間、数秒前のことを忘れるひとと、一緒にいるのは大変なことだ。長年連れ添って、しっかり家事をしていた妻が、以前と全く変わってしまった、やりきれなさ、かなしさ。お義父さん自身、歩行もあやういところがあって、自分のことも情けないと感じられている。
 義父は、温厚で、優しいひとだ。僕は、亡くなった実父とより、よく喋っている。勤めていた会社のこと、子どもの頃のことなどを話してくれる義父は、じつに楽しそうだ。義母も相槌を打って熱心に聞く。そして何か妙なことを言うと、義父はまたか、とイラだつ。お義母さんが傷つく。そんな繰り返しだった。
 お母さんの気力が、いつまで持つか… と、つれあいは心配している。おとうさんは、もうハナからおかあさんを否定してかかっているし、常にモンクを言われる。「自分はダメなんだ」と思ってしまう。いつかは、「消えたい(死にたい)」と言っていたらしい。だが、おとうさんが厳しく言ってしまうのも、ほんとうに無理からぬことだと思う。そしておかあさんが言い返せば、クチゲンカになってしまう。

 僕は二泊して、三日目の夜においとました。義姉が夜遅く来る予定で、僕がいると義姉の寝る布団がない。ツレアイが、ホテルに予約をしてくれていた。
 ひとりの部屋で、テレビをつければ、ウクライナ。目の前で、町が壊されていくのを見た、と、涙ぐむように話す老人。こどもが、爆撃の音が忘れられず、取材班のテレビカメラを砲弾と思うのか、怖がって、お母さんに抱きついて顔をうずめていた。映すな、映すな。さっさとカメラをどけろ、と思った。
 北朝鮮が、新しいミサイルの開発に成功した。黒いグラサンをかけて、ばかな映画俳優みたいなかの国の為政者が、プロモーションビデオ。何やってんだ。ほんとに、何やってんだ。
 家に、テレビがなくて、よかった。毎日、あんな戦下の報道、見ることになったら、いくら涙があっても足りゃしない。チキショウ、チキショウ、どうしてか、怒りが込み上げてくる。
 攻撃し、「制圧」して、それでどうなるのか? あの部隊、それを仕掛ける為政者たちに、ずっと問い続けたいと思った。で、どうすんの? で、どうすんの? で? で? ずっと、ずっと、問い続けてやるのだ。
 そしてコロナと、こないだあった地震の影響のこと。NHKもTBSも、同じ順番で、同じニュース。

 この世界、ほんとうに、やばいんじゃないか。もう、戻れない。
 翌朝、またつれあいと合流して、奈良に帰ってきた。そのことはまた次回に書いて、今回の小旅行記を終わろうと思う。
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