第4話 小旅行記(1)

文字数 1,576文字

 3、4ヵ月ぶりに、つれあいの実家へ。新幹線、宇都宮線と乗り換え、約5時間。乗っていれば目的地に着く。楽といえば楽だが、「公共の場」にいる以上、緊張のためか、やはり疲れるようだ。ひとりでいる時と全然違う。まわりに人がいるということ── 意識するということ。この重さを、地道に感じつつ、きのう無事帰途についた。今またひとりの部屋で、パソコンに向かう。
「意識」。いろんな生き物がいる中で、人間だけだろうと思う。気を遣い、遣われ、うなずいたり、笑ったり、ムッとしたりして、そのとき一緒にいる「同じ時間」を過ごすということ。
 この「意識」がなくなったら、人間は人間でなくなるんだろうな、と思う。そして虫や動物との違いを想像する。この違いをつくったのも人間の意識だろうし、想像だろうし、とまた思う。でも、それ以前に、人は人のなかにあって、初めて人であったんだろうな、と。

 人はひとりでは生きられないというけれど、ひとりであっては、人間ですらないんだろうな。人と関係し合って、初めて人間は人間になるんだろうな。
 ひとりの時間になって、自省したり理想を抱いたりして、またひとりでない時間に入って… そんな繰り返しで、ジンセイ、すぎていくんだろうな。ぼんやり、そう思う。

 今回の、奈良→東京(埼玉)の道中、ずいぶん、人の優しさに触れた。僕は今年55歳で、今までと変わらぬ、ジーパンとパーカーで、リュックを背負って電車に乗ると、席を譲られた(?)ことが2回あった。白髪の坊主頭がそうさせるのか、最初はちょっとショックだった。
「え、オレ、そんなトシとって見える?」ツレアイに小声で聞く。彼女は60だが、そんな席は譲られていない。
「まあ、彼女(譲ってくれた女性)より年上だよね」
 まあ、それはそうだ。
 もちろん、ありがとう、と席に座ったけれど、最初は驚きのあまり、「えっ、いいですよお」と拒んだりしてしまった。
 2回目は、宇都宮線の車中。ボックスシートの通路側が1つ空いていて、ツレアイに座らせ、僕はその横に立っていた。と、すぐ横のボックスにいた女性が(そこは3人の他人どうしが座っていた)、「ここどうぞ」と窓側に座り、通路側の席を空けてくれた。どうもありがとうございます、と僕は座り、通路を挟んでツレアイと隣りどうしに座ることができた。

 東京駅の新幹線出口の立ち食いソバ屋は、繁盛していて、ほどほどに人がいた。食券を厨房に渡し、できあがるまでテーブルの方で待っていると、「よかったらここどうぞ。もう食べ終わったので…」と男性。彼の横には小学生くらいの男の子がいて、「外で待ってるから、ゆっくり食べてていいよ」と言って、お父さんだけ出ていった。ツレアイと僕は、ありがとうございます、とお礼を言う。
 食べ終わって、ご馳走さまでした、と食器を返すと、ひとりでやっているお店の人が、とても丁寧に「ありがとうございます」と言う。向こう側から、取り易いように、お盆を置くと、「またどうぞお越しください」と真っ直ぐ優し気な目と声で言う。こちらも、はい、と笑って、目を合わせてうなずく。
 この「29」というソバ屋さんは、いつも感じが良く、お客さんもイイ人が多い感じで、いやな思いをしたことがない。毎回、東京に着いて改札を出るたびに食べている。ソバも美味しい。

 そういえば、新幹線の中で、つれあいがスマホを落とした。二列シートに僕らは座っていて、もそもそと彼女は下を探し出したが、見つからない。すると、後ろに座っていた若い会社員風の人が拾ってくれて、座席越しに手渡してくれた。すみません、ありがとうございます、と僕らが言うと、マスク越しに優しい目が笑っていた。
 ── こんなチョッとした「ふれあい」が、とてもとても嬉しかった。

 字数が増えそうなので、次回、また今回の小旅行記を書こうと思う。
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