第132話

文字数 1,830文字

 考えてみれば、考えるまでもなく、誰でもキルケゴールになれ、モンテーニュになれる── たまたまきみは、こども時分に、あの二つの「世界の名著」の挿絵、そこにあった短い言葉に、あたかもきみ自身を見たような気になった。
 その気にさせた情況は、きみがひとりを意識していたからだ。思索は、ひとりでするものだからだ。塔はその象徴であり、何を言っているのか分からないキルケゴールに、異常な親近感を覚えた。彼らは彼らの思索を重ねた。きみは彼らの思索する姿を文字上に見、感得し、わがものとして── 「今」、その時の自分を彼らになぞらえ、未来を夢見た。
 きみは、ひとりで心細かったのか? いや、そうではないだろう。あの塔はともあれ、きみはキルケゴールの、あの途方もない文の羅列に、ほんとうのものを見ていた。思索に思索を重ね、考えるということを続ける、考えるということを続けていく、それがあの文の羅列になっていること、そこにきみは「まことのもの」を感得したのだ。

 まったくもって、意味がわからない。文の意味がわからないのに、きみは何をわかりようもなかった。それでもきみはキルケゴールをきみの中に取り入れた。彼が入って来た、と、従来のきみなら言うだろう。だが、もうそんな、受動的な表現はやめよう。きみはきみの意志によって、この世に生まれて来たのだ。そうきみは思っている。だから彼が「来た」のではなく、きみが彼へ「行った」のだ。まだ受動的に言いたいなら、きみには彼に、同じような自己を感じた、それだけのものがきみにあったのだ。

 きみは狭隘な子ども、だったかもしれない。もしかしたら、その年頃の子どもは一般に、よくいわれる「スポンジのように」周りの成分を吸収し、だから「協調性」も同時発生し、気に入らぬヤツがいたとしても、それは泡の一つで、スポンジであるきみ自身の多くの気泡から、きみはきみへと摂取すべきものを周りから取り入れようとしていたはずだ。
 だがきみは、…きみはスポンジでなかったのか? スポンジに性格があるとしたら、ずいぶんわがままなスポンジだ。きみは、気に入ったものだけを取り入れようとした。
 きみは、学校が不自由だった。で、行かなくなった。行けなくなった。すると今度は、家が不自由になった。「居場所」がなくなった── 自分の部屋はあったが。

 きみはまさしく、外を歩けなくなり、家にいても親がいる以上、自由に振る舞うことができなかった。学校に行けば、そのあいだの時間、我慢すればいいことだった。さすれば、家に帰って、きみは親と面と向かうこともできたし、駄菓子屋へも自由に行くことができたのだ。
 だがきみは学校にいる時間を拒否した。拒絶した、そればかりに、二十四時間の連続を不自由になることを望んだのだ。
 きみは、それを望んだのだ。きみ自身、望まなかった、登校拒否など、したくなかった、と、いくら思っても無駄なのだ。きみは、それを望んだのだ。なぜなら、きみはその時、一つの意思、意志というほど強いものでないとしても… いや強かった、意志だったのだ。
 きみは、意志で、そうしたのだ。

 きみは長らく、なぜ自分が登校拒否をしたのか分からない、と言ってきた。
 親に迷惑をかけた自分を、認めたくなかったからではないかね?
 実際、確かにきみに、具体的に学校ぎらいになる、その理由は何もなかった。あるとすれば、取って付けたような、確信とは程遠いと思える理由だけだ。それを理由にすることもできた。実際、した。「体育がキライ」「給食がキライ」、だが、そんなこと、ほんとうの理由ではなかったのだ。
 実際、体育は見学OK、給食はお残しヨシ、となっても、きみは学校に行かなかった。
 きみはただ、それだけだった。きみは、学校に行きたくないという、確固たる意志だけを持っていたのだ。
 それは、きみの責任である。きみという自己を持った、きみの責任なのだ。
 そのきみは、今も、本質的に、じつに何も変わっていないということだ。きみはこの自己である責任を、死ぬまで負い続けるのだ。どうせなら、こころよく、この自己を、抱擁してやってもいいのではないか?

 迷惑をかけました。これについて、きみは冗談でなく、もしかしたら「死ぬほど」本気でそう思っているかもしれない。
 だが、もう、いいのではないか。
 きみは、きみであったのだ。

、きみであったのだ。
 そしてこれからも、きみはきみであり続けるのだ。

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