第201話 ブログと投稿小説サイト

文字数 1,383文字

 しかしダラダラと書いてしまえば、20年ぶりぐらいにブログというものをやって、ずいぶん書き手のスタイルが変わったなぁと感じた。
 いや、変わってないのかもしれない。
 2005年の頃はツイッターもフェイスブックもなく、「ポチッとして下さい」はあったけれども、SNSボタンは存在していなかった。
 ハードの面が確かに変わった。
 それが、書き手のスタイル、書き方に、影響しているのかもしれない。
 また、長い文章も、よく見かけた気がするが、今はほんとに短くなっている。
「読む」ものではなく、「見る」ものになった、という印象を強く受けている。

 そしてGoogleアドセンスやSEOを意識すれば、(べつに審査に落ちたから言うわけでないが)その基準を満たすために、結局同じようなものにならざるをえない、必然のようなものも感じた。
「こう書けばイイんですよ」という一定の基準。均一化、水平化。つくるのでなく、つくらされている、というものも感じた。
 その平均台にのって、多くのひとが台を踏み外さないように書いている。ほんとにみんな、同じようなことばかり書いている…。

 ノベルデイズに今まで投稿した自分の文をブログの形態へ持って行こうとした時、アレッ?と思ったのも、大きな発見だった。
 けっこうな量、ここに投稿したと思っていた。ところが、ブログにふさわしいと思える記事が、ほとんどなかった!
 自分自身が、同じようなことしか書いていない。
 あ、オレ、たったこれしか書いてこなかったんだ、と痛感した。

 ノベルデイズだから書けた、そういう文が多いように思えた。
 形、表現の「場」が、その内容をつくる要素になることも実感した。

 ところで、いまのブログは、ほんとに写真が多い。20年前も多かったけれど、こんなに多かったっけ、と思える。
「今日の夕食です」と食卓の写真、「電気代が上がりました」と領収証の写真…。

 ブログというのは、個人の日常を書くことが基本のようだから、自分はブログ向きだろうと思っていた。
 しかし、… ここまで臆面もなく自分の生活、自分のことだけを開示して、ひけらかすように書ける人たちが、こんなに多いのかと本気で驚いた。
 しかも、そんなに、おもしろい記事を書いているとも思えない。どうしてコンナノがランキングのトップなの、というものばかりに思えた。すみません。

 正直に打ち明ければ、「読まれる」ことのありがたさを、あらためて痛感した。
 そのまま書けば、なんだかんだ、自分の参加している村(村!)の中で、こんな自分の書いたものも、あるカテゴリーではトップに立っていたり、なにやら「上位」の方にあったりする。
 こう書いていて赤面ものだが、やっぱり読まれると嬉しい。
 そしてそういうものに、捕らわれてはいけない、と、葛藤がはじまる。
 こんなシステムは、おかしい、どこか、間違っている、と感じてしまう。

 自分の書きたいこと、「書かれたい」と内から出たがっているもの、それをしっかり、自分が納得できる鋳型に、文章・言葉として流し込むことができれば、万々歳だ。
 自分のこの基盤は変わらない。
 しかしまったく、浦島さんになった気持ちになる。
 今ブログを書いている人も、この自分自身も、20年前と本質的に変わっていないことをおもう。
 目に見えるものは変わっても、目に見えないものは変わらない…のかな。
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