第22話 二つの文学賞に応募して

文字数 940文字

 やれやれ。ほんとに、小説を書くって、たいへんな作業だ。エッセイみたいなものを書く、その何倍の時間、なけなしの頭を使うことになる。もう、いっぱい。ツカレマシタ。
 とりあえず、「やり遂げた」ような感はある。欲を挙げたら、キリがない。こんなキリでよかったのかな、と思えば、無限に穴が広がっていく。

 納得、できたろうか。ほんとに書きたいことを書けたのか。今度は自問自答の穴に落ちる。
 投稿したら、終わった。それまで、書いていた。それだけのことだ、と思おうとする。
 課題を与えられ、それに向かって書く。これはべつに、ひとりでもできることだ。そうすれば、きっと、もっと小説が書ける。
 自分で、向かいたいものをテーマとする。それに向かって、書けばいいのだ。何も、「賞」なんか目指さなくても。
 賞に向かうと、エサを与えられ、飛びついたサカナみたいな気がする。日頃から、自分で自分に与えろよ、という気を強く持ったりもする。

 しかし小説… 山川方夫の「小説観」によれば、「小説は結局私小説ではないか」「しかしスタイルは変えうるもの」「そして人間は変わりうる存在」であるという。
 山川さんは、生計を得るために、と同時に自分には文学しかない、という思いの果てに、執筆を続けていたように思う。
 ウンデイの差だ。僕には、そこまでの覚悟もない。
 
「書いたよ」と家人に言う。二、三日かかって書いたから、とりあえず終わった嬉しさで。
「読んだよ」しばらくして、家人が言う。「どうしても、『主張』になっちゃうね」
 イタイ。
 そう、小説は自己主張する場ではないのだ。
 では、小説とは?
 僕は、いや、もう「僕は」はやめたい。
「太郎が」「花子が」で、やりたい。と思う。
 いや、何人称だろうが、イイものは、イイのだ。
 では、イイもの、とは?

 ダメだな、おれは、とげんなりしてたら、「作品お気に入り通知」が。
 嬉しくなる。大袈裟でなく、涙ぐむ。
 この安直さよ。

(ほんとにありがとうございます)

 小説


 エッセイなら、エッセイ

。詩なら詩、評論なら評論


 この「として」が、必要なんだと思う。
「僕として」なんて、ねえ。誰も読みませんよ。
 破りたいんだが。この、「として」を。
 ワクにハマりたくない、ワガママだ。?
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み