第230話 眠れない夜の過ごし方

文字数 1,370文字

 夜中の二時半に目が覚めて、そのまま眠れずにいる。寝床の中でラジオをかければ、「ラジオ深夜便」をやっている。70歳とか80歳のリスナーからのお便りが紹介される。聞いている人は、高齢者の方が多いようだ。

 歳を取ると、若い頃のように眠れなくなるらしい。で、夜中に目が覚めれば特にやることもなく、布団の中でラジオを聞く、となるのだろうか。

 心に入ってくる音楽がかかれば、気持ちも高揚してよけい眠れなくなる。興味深い話を聞いていると、やはり眠るどころではなくなる。

 眠くないわけではない。身体の半分は、眠りを求めている。残りの半分は、この求めに反して、眠ろうとしない。

 夜は、眠るものだ。このまま朝になり、一日を過ごすとき、ぼーっとしたままの状態が続くことになる。べつに、ぼーっとしたままでもいいのだが、どうしてか不本意に思う。残念に思う。

 充実した一日とは?

 昨日、ぼくはずいぶん書いた。何のためにか、書いた。何か、充実した気になった。いつも、何か考えている。それを書けたことが嬉しく、充実したのだと思う。

 ひとりで、何か考えることが好きなのだ。だが考えてばかりいては、膨れ上がった風船みたいにパンパンになる。いや、追い詰められたネズミのようになる、か。

 空気が欲しくなり…息を吸うために、フーセンの口をほどく。中は既に空気が一杯であるはずだ。なのに、それを抜くと、空気が「入ってくる」気になる。そうして息が吸い易くなる。つまり、こうして書いている間は。

 何か一つのことを書けば、数珠つなぎのように二つ目、三つ目のことを書きたくなる。数珠の玉は、単なる事象だ。それを繋ぐ紐がある。この細い紐が、この事象をつくる本質、「事象をつくるもの」に見える。

 よくよく見れば、この一つ一つの玉はすべて異なる形状、色合いを帯びている。

 丸く、乳白色、真珠のように見える。一見、同じ玉が連なっているように見える。だがよく、よく見れば、影のような模様があるものもあれば、妙に輝いているものもある。顕微鏡で映せば、コンマ何ミリ、一つとて同じものはないだろうし、大きさは同じでもその皮膚の模様は一つとて同じものはないだろう。

 一つとして、同じものはない。だが、その一つ一つを繋ぐものは、たった一本の同じヒモなのだ。

 そういうふうにして、成り立っている世界のイメージが浮かぶ。この玉であること、ヒモであることは、玉でありヒモである当のものには分からない。

 それを見る者に、それが見えるだけである。

 ヒモは、見えづらい。そこにヒモがあることなど、意にも留めず、見向きもしない者もいる。「ある」ということなど、自分とは無関係で、まるでどうでもよさそうだ。

 関係がなければ生きていけないくせに。それを紡ぐものがなければ存在しないくせに。

 だが、ひとりでいる時、その者は、それを感じているのかもしれない。ただ他者と接している、対している時だけ、そんなふりをして強がっているのかもしれない。

 きっと、紡ぎ繋がれたものに視線を逸らし続けても、その存在に気づかされる時がある。

 眠れない夜は、そんな知らない影が、うっすら、おぼろげに、「ここにいるよ」と知らそうとしてくれる時間のようにも思える。

 つらい時間だが、ありがたい時間なのかもしれない。

 そしてこうして書けているということは。
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