第188話 ラジオ深夜便

文字数 1,547文字

 昨夜は後藤さんがアンカーだった。嬉しくなって聴き、内容もよかったので、書き留めておきたい。
 百姓についての映画をつくったという人がゲストで、後藤さんとの対話を通じ、百姓という仕事のすごさ、素晴らしさのようなものも知った。
「カムイ伝」などの史実的マンガを読めば、百姓というのは、かなり社会的に虐げられた「下等」な立場だった。その空気は不可視に残っているのか、今日び、百姓なんかよりタワマンなんかに住んで、キレイな職場で高給をとって暮らしたいとする人が多いかもしれない。
 その映画監督さんの言った、「農家があるということが、この同じ日本にあるとは思えない」という言葉が印象的だった。百姓と、都会に住むわれわれとは、時間軸が違うという言葉も。

 お百姓さんたちは、今年植えたものを収穫するのは来年である。果樹を植えれば、数年かかる。このあいだに、チャンと成長するか、どんな肥料を与えればいいか、気候変動、その年の出来栄え等、長い長い時間をかけて育んだ「知恵」の、いわば塊であるという。といって、来年や数年後のことだけでなく、もちろん来月の、明日の我が身のクイブチのことも、しっかり考えなければならない。
 今さえ良ければいいわけでない。長いスパンで考え、それを行動するということが仕事であり、その「時間軸」によって生活全体が回っているということ。

 こういう育て方をしたら、こんな美味しいお米ができた、と分かれば、それを同業者である農家に教える。そうして農家は、「成長」してきたという。まさに助け合いの精神である。
 だが行政は、「これはあなたが発明したのだから、情報として洩らさぬがいい」みたいに言ってくるらしい。しかし、「そんなこと言われても、自分たちはこうしてやってきたのだから」と、ナイショにせず、惜しみなく他の農家に教える。そうやって、おたがいさま、をほんとうに基本にして、技術や知恵を「高め合って」きたという。

 それだけの話といえばそれだけの話だが、とてもいい話だった。
 後藤さんが相手だったから、映画監督も軽快に話せたような感じもした。
 まったく、小さい頃は、お祖母ちゃんから、「このお米はお百姓さんが大変な思いをして作ったんだよ」と言い聞かされていたものだった。おコメ、一粒でも、大切にしなさい、と。
 今や、どうせ機械がやるんだろ、みたいに考えられたり、どれだけ安くて、できれば美味しいお米を、と、そればかり追ってしまったりしている。自分が。
 一昔前、百歳の双子の姉妹、「きんさんぎんさん」がコマーシャルで「物を大切にして何が悪いんじゃ!」みたいなことを言っていたのも思い出した。
 あれは、消費ばかりを促すような社会への、何か反撥、警句のような言葉に感じられたものだった。すぐ、あのCMは放映されなくなった気がする。
「経済を回す」というのは、お金をどんどん使ってモノを買いなさい、という感じがする。
 なんだかなぁ、と思う。そんな、どんどん使えるほどのお金もない。いかに、今ある物を長持ちさせるか。かめ家の場合、こっちに行く。

 しかし、やっぱり後藤さんは良かった。映画監督に、「子どもみたいに、目が輝いていますね」などと言われていたが、もう70を過ぎているらしい。今、70歳は、まだ若いのか。
「でも、農家の方々って、皆さんほんとにお若いんですよ。80、90を過ぎても、ビニールハウスを自分で建てたりなさっています。人間って、みんな誰でも子どもみたいなところ、あるじゃないですか。土や草木、雑草、花、百姓のお仕事の場は、童心に帰るような場所でもあると思います。あそこへ行けば、みんな元気になるかもしれません」みたいなことも言っていた。
 土と、水と、空気。
 これ、ほんとに生きる基本なんだろうな。
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