第133話

文字数 1,018文字

 しかしこう書いていて、自覚するのは「自信のなさ」だ。
 きみは、だから評価を気にする。他者の目を、気にして、そこからきみは自分を立たせようとするのだ。
 それでは、今までと、何も変わらない。もちろん、書くことが表現である以上、読まれることを目的とするだろう。が、その前に、その前があるではないか。その前から、他者にその身を委ねては… からくり人形だよ。
 ヨノナカがカラクリで出来ているからって、せっかくのきみ自身の表現の場を、まやかしで染めなくても、いいんじゃないか。
 昨日か一昨日、ラジオで「なろう系」の番組があった。「小説家になろう」はすごいね、番組まで持っている。
 もちろん、すぐ別の番組をチューニングした。トランジスタラジオを寝床で聞くようになって、くだらない番組もあれば面白い番組もあることを知った。
 面白いと思える番組は、「面白さをリスナーに強要しない」雰囲気がある。芥川賞だか直木賞だかをとったピース又吉と、他二名が進行していく。他二名のうちの一人が、主だった進行役だが、この三人のやりとりがホントに面白い。
 基本、明るいが、明るいだけでない。これは「品」のなせるワザだと思う。上品とか下品の「品」でなく、三人にそれぞれ備わった、人間的な「品」。味があるのだ。

 この番組を聞いた後、べつのモノを聞いても、「ヤラセ」「ムリ」感が目立つ。いくら楽しそうに、キャッキャキャッキャとやっていても、ただそれだけなのだ。全然面白くない。
「こうやれば面白いでしょ?」という雰囲気。これには、いくらラジオといえど、同調できない。こちらの、自由が奪われる感じがする。あちらはあちらで、自由にやってほしい。すると、こちらも、解放されたような、自由な気になって、その番組を楽しく聞けるのだ。

 そして、くだらなさも大事だなぁと思った。どうでもいいようなことでも、彼らが真剣に、まじめに、チャンと意見を言い合っていたりすると、それがひどく面白く感じられる。でもそこには、やはり彼らの「品」、言い換えれば「しっかりした自我」のようなものがあるから、そんな芸当ができるのだと思える。そう感じられるだけの、落ち着きが彼らにはある。
「三人集まれば文殊の知恵」というけれど、この三人はうまく知恵を、自然に出し合って…もちろん公共放送という意識はあっても、それよりまず「われわれ」に重点をおいて、しっかり喋っている。

 きみ(ぼく)も、あんなふうに書けたらいいね。
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