第57話 雑木のよさ
文字数 1,143文字
昼間、居間のとなりの和室に寝っ転がる。疲れていることだけは分かるので、観念して布団を敷き、仰向けにねる。すると窓の向こう、庭にエゴノキがいるのが見えるのだ。
春だったか、には、沢山の花を、満面に咲かせていた。下向きに咲くせいもあってか、あの時も寝っ転がった布団の上から見る白い花たちが、何としても素敵だった。
そして小さな、蜂としては大きいような、ダルマみたいな黒いハチたちもぶんぶん、忙しそうに飛んでいた。
今、エゴノキは葉ばかりである。
鬱蒼とでなく、といってそんなスカスカでもなく、「適当に」葉をつけている。
薄緑した実もぶら下がっている。この実が落ちると、鳩の夫婦が食べに来る。去年か一昨年か、仲良く二羽の鳩が来ていた。きっと今年もだれか来るだろう。
エゴノキの下には、萩が、やはり白い花を咲かせている。萩は春になるまで、まったく「いない」。土中に、じっと息をひそめているのだ。そして暖かくなると、何もない地面から、いきなり出てくる。それまで影も形もなかったのが、突然でてくるのだ。
そして縦横無尽に柔らかい枝をぐんぐん伸ばし、風にたなびく。
この萩には、メジロの集団(たぶん家族)、五、六羽がよく遊びに来る。葉の後ろに何か虫でもいるのか、メジロたちが熱心につつくのだ。だが、その重みによって、萩が垂れる。ブランコかシーソーのように、萩の枝が右往左往する。
ちいさなメジロは子どもだと思うが、その子が、「わーい!」って、なんだか楽しそうに、遊んでいるように見える。でもお父さんやお母さんが食べているのを、きっと見ているのだ。
その萩の左斜め前方には、ソヨゴという木がいる。この名の由来は、風にソヨソヨそよぐからだというが、そんなソヨソヨというふうではない。枝を動かすと、カシャカシャ、と葉のこすれあう音がする。
このソヨゴも、前述のエゴノキも、何ということもない雑木である。たぶん、山道ですれ違っても気がつかない。花が咲いていれば気づいても、エゴノキはかなり高木になるし、ソヨゴは小さな小さな花なのだ。
たぶん何年前かのガーデニング・ブームの時に、こういう「雑木」が山から下りてきて、今玄関先や建物の脇なんかに植えられるようになったのではないかと思う。
シマトネリコも、きっと雑木だ。今、やはり白い花が咲いているはずだが、下からだと全く見えない。
だが、しかし雑木は強い。この強さが、この木たちのいちばんの魅力だ。綺麗に着飾らせなくても、そのままで十分魅力的なのだ。へんに樹形を整えようとしたりして、カッコよくさせようとしたら、ムッとして「やめてよ!」といわれそう。
自然に、かってに、ひとりで何かやっている雑木たち。植物は、みんなそうかもしれないけれど。いいんだナ、これが。
春だったか、には、沢山の花を、満面に咲かせていた。下向きに咲くせいもあってか、あの時も寝っ転がった布団の上から見る白い花たちが、何としても素敵だった。
そして小さな、蜂としては大きいような、ダルマみたいな黒いハチたちもぶんぶん、忙しそうに飛んでいた。
今、エゴノキは葉ばかりである。
鬱蒼とでなく、といってそんなスカスカでもなく、「適当に」葉をつけている。
薄緑した実もぶら下がっている。この実が落ちると、鳩の夫婦が食べに来る。去年か一昨年か、仲良く二羽の鳩が来ていた。きっと今年もだれか来るだろう。
エゴノキの下には、萩が、やはり白い花を咲かせている。萩は春になるまで、まったく「いない」。土中に、じっと息をひそめているのだ。そして暖かくなると、何もない地面から、いきなり出てくる。それまで影も形もなかったのが、突然でてくるのだ。
そして縦横無尽に柔らかい枝をぐんぐん伸ばし、風にたなびく。
この萩には、メジロの集団(たぶん家族)、五、六羽がよく遊びに来る。葉の後ろに何か虫でもいるのか、メジロたちが熱心につつくのだ。だが、その重みによって、萩が垂れる。ブランコかシーソーのように、萩の枝が右往左往する。
ちいさなメジロは子どもだと思うが、その子が、「わーい!」って、なんだか楽しそうに、遊んでいるように見える。でもお父さんやお母さんが食べているのを、きっと見ているのだ。
その萩の左斜め前方には、ソヨゴという木がいる。この名の由来は、風にソヨソヨそよぐからだというが、そんなソヨソヨというふうではない。枝を動かすと、カシャカシャ、と葉のこすれあう音がする。
このソヨゴも、前述のエゴノキも、何ということもない雑木である。たぶん、山道ですれ違っても気がつかない。花が咲いていれば気づいても、エゴノキはかなり高木になるし、ソヨゴは小さな小さな花なのだ。
たぶん何年前かのガーデニング・ブームの時に、こういう「雑木」が山から下りてきて、今玄関先や建物の脇なんかに植えられるようになったのではないかと思う。
シマトネリコも、きっと雑木だ。今、やはり白い花が咲いているはずだが、下からだと全く見えない。
だが、しかし雑木は強い。この強さが、この木たちのいちばんの魅力だ。綺麗に着飾らせなくても、そのままで十分魅力的なのだ。へんに樹形を整えようとしたりして、カッコよくさせようとしたら、ムッとして「やめてよ!」といわれそう。
自然に、かってに、ひとりで何かやっている雑木たち。植物は、みんなそうかもしれないけれど。いいんだナ、これが。