第43話 いや~

文字数 1,759文字

 いきなり夏が来たなぁ、と実感した埼玉の空の下。
 恒例(?)の、義父母をたずねる三泊四日。今回はツレアイは行かず… 義姉から電話で両親の様子をよく聞いているらしく、もうお腹いっぱいということで、今回は僕ひとりで行ってきた。
 あとから気づいたのだけれど、義理の息子みたいな者がひとりで世話を焼きに行くというのも、なかなか緊張するものだった。出発の前々日は画家の友達が来て、創作についてのギロンをして、あれこれ考えさせられることにもなったりして、その余韻のままの小旅行。

 ちょうど「父の日」ということもあって、花やらフルーツ盛りやらをスーパーで購入後、ピンポンチャイム。
 まぁしかし、お父さんが嬉しそうに、ほんとに嬉しそうにしてくれたので、こっちも嬉しくなった。それだけでも、行った甲斐があった。
 しかし四日は長かった! 三日目の昼辺りに、うわ、疲れた、もうダメだ、みたいになったけれど、そのピークを越えたら大丈夫だった。
 何に「疲れ」たのか?
 認知症の母の、おそらく「常人」では予測不能な行ないに対し、父がやはり当然、イライラする、そして母も傷ついて、何ともいえぬ気まずい空気になってしまうこと、それを回避するためにこちらは何とかしようとすること、この繰り返しにマイッテしまったようだった。それはこちらの勝手なのだが。

 今回、いちばん痛感したのは、こちらはこちらのルーティンのようなものをつくった方がいい、ということ。自分のできることはここまで、と。
 たとえば夜なんか、おやすみなさいを言ってそれぞれの寝室で寝るわけだが(父母は二階、僕は中二階)、そのあとのことは、もう今日一日終わったのだとして、考えない。
 昼食や夕食(高齢者用の配達弁当が来る)も、おしゃべりしながら食べるけれど、とにかく今は食べる時間だとして、特にほかに考えまいとすること。慣れの問題も大きいが、あまりムリをせず、僕は僕のペース、父母は父母のペースで何事もやることが、おたがいにいいのではないかと思った。

 その中二階の部屋でねている時、かなりグッと来る、胸に入ってきた出来事があった。
 二階に向かう、父のコツコツ、という杖の音が聞こえ、その音と一緒に母の、「大丈夫?」というような、とても心配なさっている声が聞こえてきたのだ。
 父は、ボケた妻に心配されることがシャクなのか、しっかり歩けない自分がシャクなのか、両方だと思うが、「大丈夫だって言ってるだろう、うるさいなぁ」と文句をいう感じで何か言っている。
 だが、そんな「音」を聞きながら僕は、ああ、このお二人は、こうして一緒に歳をとり、六十年、ずっと一緒に生きてこられたんだ、と、いたく感じていた。あやうく、涙しそうになった。
 そうなのだ。父はとにかく一生懸命、仕事をして来、母はそれを支えて来た。父はきっと、常に父たる父であり、母は母たる母だった、そうして立派に二人の子どもを育て、転勤や何やで大変だったろうけれど、どこか「強がる」父を、この階段の上で母がそっと付き添うようにして、こんなふうにずっと夫婦でいらっしゃったのだ、ということ、その象徴の「音」のように思えたのだ。

 まぁしかし、たった四日といえど、いろんなことを考えさせられた。たぶんこれは僕に必要な、だいじなことだったと思う。ヘルプに行って、自分がバテてしまったこと、自分がそんな疲れないようにうまく立ち回れないことは、僕の今までの仕事に対する姿勢みたいなものを表わしているし、僕自身の今までの生き方を結局考えていたのだと思う。

 アジシオのこと(毎朝、ゆでたまごにかけるアジシオの瓶が、必ず行方不明になった… 母がどっか置いちゃうから)、やはり同じことを繰り返す母、それに対して怒る、そんなに激しくではないけれど怒る父、数秒前のことも忘れる母、それを憶えている父── 怒られて、しょげかえる母は、「もう私なんか消えてしまいたい」とか言い出したりすることもあるそうで、こっちとしても気が気でない。
 義姉とも連絡を取り合ったりして、ホントの息子ではないけれど僕もできる限りのことはして行きたいと思う。
 そう、東京に住むお義姉さんが毎週末、この埼玉の家に来ているそうなのだけど、やっぱりお義姉さんも大変だ。

 ムリして、この文章、まとめない。
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