第36話

文字数 1,036文字

 もう、このまま書いてしまえ。
 こないだ、「課題文学賞」なるものに応募した。ずいぶん時間をかけて書いた。三日間、とぎれとぎれに、この一作ばかりに向かって。
 読み直すたびに、ダメだ、読み直すたびにダメだ、となって、書き直してばかりいた。数時間前、ヨシヨシ、と納得できたものが、数時間後に読むと、もう納得できない。そして書き直す、の繰り返し。このままじゃ、永遠に終わらないと思った。
 三日目の夜、また書き直した。しかも、5000字以内に収まらない。削り削り、字数を見たら、5000字ピッタリになった。キリもいいし、もう、いいか、と、終わらせた。アキラメタ、というべきだろう。
 そうしてしばらくの間、一体何のために書いていたんだろう、と、恒例の「何のため」を考える仕儀に陥っていた。

 アキラメる、には、アキラカになる、という意味があるという。
 何がアキラカになったのか? 自分には、小説を書く才がないということだ。で、またしばらく、得意の絶望をしていたということだった。
 また二回目のコンテストが開催される。ちょっと早すぎる気がする。そして応募するなら、やはり起承転結、ストーリーをしっかり立てた小物語にしないとダメなように思う。
 自分は何のために書いているのか? 友人の絵描きの言葉を借りれば、「自分が驚くために書いている」と言える。
 プロットをつくっても、それはレシピに見えて、それだけでひとつ終わってしまう。
 よしその構想通りに書けたとしても(そんなことはあり得ないが)、小さじ何杯、何分茹でて冷水にさらし、という自分でつくったマニュアルに工程通り沿うだけで、そこでの「驚き」は技巧的な、技術を駆使したものに走った結果になりそうだ。

「原案通りに料理をつくる」目的に、プロットをつくると僕は囚われてしまう。そしてうまくゆかない。何か、さめてしまう。
 いいたいことがあるから、人は(僕は)何か書こうとする、と、きっと信じているのだ。その「いいたいこと」が自分の中にホントウにあるならば、行動予定表をつくらずとも、自然に身体は行動し、すなわち「書き」、こういう物語を書きたい「思い」がそれをつくるのだ、と信じてきてしまったようだ。
 プロットをつくって、その通りに行ったためしがないのは、その通りに書こうとする意志みたいなものが希薄なんだとも思う。
 それより、え、これほんとにオレが書いたの? という驚き。たぶん頭で考えたようなものでないもの。
 そんな驚きを味わいたいのだ、結局。
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