第353話 機運

文字数 951文字

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 聞いた話によれば、「同じ17歳の男の子が殺されたニュースを知って、いても立ってもいられなくなった」。世界的に、といっても全世界ではなかったろうが、反戦運動やらフリースクール、コミューン、ヒッピー、さまざまな活動、反体制的な活動、「いても立ってもいられずに」何かを目指して人々が動いていた時代があったとか。
 何を目指していたんですか。とは訊かなかった。どうしてそんな運動をしていたんですか、と好意的に(その人とは友達だったので)訊くと、「(自分と同じ)17歳の子が」という、前出の言葉を聞いたのだった。
 ベトナム戦争。戦争が起きていることへのもやもや、鬱屈したものはそれまでもあったろう、日本国内でも安保がどうの、政治がどうの、あったろう。鬱憤は、いつも出口を探す。
 しかし戦争。あまりに理不尽ないくさ、さらに犠牲、そしてニュース! そのニュースをたとえ知らなくても、かれは別のきっかけから似たような運動に参加しただろう。

「壊すのが面白かった」という知人もいた。今から思えば、建物やモノを壊す意味だけでなく、秩序や道徳的なものも含まれていたと思う。何も火炎ビンを放り投げるのが面白いばかりではなかったろう。
 個人的鬱憤と集団的鬱憤。それが繋がる線があった、確実に。国民が、といっても全国民ではないにしろ。
 そんな話を聞いた、とても興味があったのは自分が学生だったからだ、学生運動というものに。(今秋、近所の大学、女子大に家人と一緒に買い物帰りに立ち寄った、学園祭。踊り、出店、平和すぎるほど平和、退屈、何年も連れ添った夫婦のごとき平坦な、無表情の学園祭)

 学生運動は暴力だった。暴力で、何が生み落とされるわけもない。が、暴動を起こさざるをえない機運のようなもの、それがあったろう、確実に。
 だから何だ。今は、その情熱のようなものが、SNSに、匿名に、名もなき人となってへばりついている。自分のことだけに夢中になる。他人は他人。みごとな線引き、それでいて他人の目に気をやらす、自分はやつらの歩調と合わせられているか、それだけの確認のために。
 全体と個体が一つになることはない、同じ世界にいるのでない、私は私の世界にいる、他のことは全く他人事だ。なんと素晴らしい、個人的な、あまりに個人的な。
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