第367話 賀状のこと

文字数 1,063文字

「世界が平和でありますように」… ピースボートに乗って知り合った人から、とても寡黙で、でもニコニコしながら、こちらの顔を伏目がちにまっすぐ見ていた人から、そんな年賀状をもらった。ずいぶん前の話だ、まだ戦争もなかった、一見平和な80年代、バブルで日本が毛羽立っていた頃だったか…
 ご家族の写真と一緒にあった、「世界が平和でありますように」! グン、と胸にこたえた言葉だった。何がきっかけで船上で知り合ったんだっけ? 無口な人だったから、口を開く時こちらは神経を集中し、全身ダンボになってその一言一言を聞こうとした…
 無口な人の前では、ぼくはやたら饒舌になった。沈黙がちな人の前では、ぼくはまるで自由だった! 船は、奇妙な連帯性、運命共同体、この同じ船に乗っているだけでもう仲間、同じ仲間であるというような空気を醸し出し、そんな意識に人を導いた… 少なくともぼくは導かれた。《過去の戦争を見つめ、平和を考える》大義のもとに、毎年出航していた。
「宇宙船地球号」とかいうTV番組もあったが、そんなタイトルを地で行くような気になった…

 平和、ヨシ! とする、そんな《団体》に参加するだけでヨシ! って気もどこかにあった。でもそんな気は全然ヨシじゃない。あくまでも《考える》のだ… 人を通じて、かつて日本が野蛮で愚劣なことをした戦地を訪ねて…。
 確かに素敵な人たちがいた! 初対面で緊張をしながら、でもそれを上回る、《思い》が強かった、人とふれあう、喋る、眼を見て、笑って、すれ違って…。そうだ、随分人と知り合えた、友達になった! アドレス交換。ぼくは十二日間のコースで、途中のベラウで降りたが、帰って来てから親友のようになった人もいた! …オプショナルツアーで同じ小舟に乗った漫画家はとても魅力的だった…
 今、ピースボートはどうなっているんだろう? エッチ目的の若者の船などと週刊誌が取り上げた時もあったが、そんなことはないだろう。ぼくが乗った時は普通の人が多かった、善良な人が多かった。今は「普通」が乱れ、「善良」も笑いの種だろうか… 薄っぺらな、紙芝居の船になってやいないだろうか…
 ああ、年賀状、このことを書こうとしていたのに。記憶は、想い出は、いきなり顔を出す、心を占有し、忘れさす…
「世界が平和でありますように」! あの賀状、あのいつも笑っていたような眼、農家のような、武骨なたくましさの雰囲気、それでいて優しい、大きな… 名前も忘れてしまったが…
 世界が平和でありますように、あれは平和であったから祈れた言葉だったろうか。
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