第131話

文字数 2,410文字

 夢の中で書いていた。こういう時、あまり良い状態でない。現実に、何か書けて、それについて「出し切った」手ごたえ、その時の自分を出し切った感があったなら、寝ていてまで書こうとまでしなかっただろう。満足して、この調子で行こう、などと思いながらも、とりあえず過ぎた時間、その過ぎた時間の中で「出せた」ことに満足し、その過去とこれからのあいだの時間に充足し、何か違った夢を見たことだろう。
 きみはいつもそうなのだ。いつも何かに捉われ、囚われた自分に対して、きみ自身が右往左往する。夢想の花を咲かせ、ひとりで歓喜の歌を歌ったかと思えば、ひとりで絶望し、ざわざわと胸騒ぎの中に溺れる、対極の時間に、きみはどっちにしても捕らわれる。捕らわれていないと、きみは不安になる。

きみは捕らわれているのだ、誰のためでもなく、きみは自分から捕らわれているのだ。

 こうありたい、自分の願望をきみは、こうあるべきだにすり替えて、それを絶対化へ塗り替える。相対のものは、その際、絶対化・正当化の邪魔になるから、きみはそれを排除しようとする。きみの絶対化を邪魔するものを、きみは許せない。相対があるから絶対になろうとすることができているにも関わらず、きみはその相対を意識するきみ自身を、きみの内なる眼を、(つむ)らせる。()くしてきみは絶対王者になる! 自分に都合のいいものばかりを栄養とし、肥満化したきみは、そのきみ自身によって鈍重な、愚鈍な体格に相応しい、軽快な動きのできない、単なる重い石物、きみ自身が動きのとりづらい、きみ自身がきみの邪魔をする置き物と化していく。
 きみはそのようにして、今まで世間と、他者と、対して来た。他物を自己と同化させ、他を自己とし、自を他己とし、そこからにのみきみの実在を確かめ、それを自分自身とした、そこに何の疑念も入らせぬよう、いっさいを排斥し、そう

ものを一(べつ)しながら、それについて追及しようともしなかった。

 人間は社会的動物であるとか、心理学ではその場合こういう症状に当てはまるとか、不安、きみ自身がきみ自身であるところを自覚させた、きみの発祥の地である不安について、きみはきみ自身の手によって手をつけず、手つかずのままを楽しみ、いたずらに時を遣り過ごして来たのだ、「無駄な時間が好き」とさえきみは言った!
 きみは何か忘れ物をした気になる。何かだいじなものをおきざりにして来てしまった感に、(さいな)まれる… きみは穴埋め作業に時間を移行させる、埋められたものが、自己の手によってではなかったという、きみ自身の人生であったのに、偶像、虚像に埋め込まれてしまったかの如き不安のために。
 きみは形によって殺されそうになる。形を求め、その形を求めた、希求した自分のために。願望が成就すれば歓喜し、不発に終われば奈落の底を這いずり回って、おのが達成しようとがんばった望みのために、きみはどうにでもなった!
 きみはその根源をさぐる、さぐらざるを得ない。これ以上、他者の足で歩を進めぬよう、自己の、きみの足を足でまさぐる。
 脳をさぐる、足の裏をさぐる。その過程を、きみはまた、こうして言語に形象化し、先へ先へ、行こうとする。過程は── 過程は、常に結果を伴わない。
 なぜなら、それは過程であるからだ。常に、過程であるからだ。ましてきみは、きみの満足のいく、受け入れたい結果以外は受け入れようとせず、きみの思い通りに周囲が── つまりきみ自身が、きみの思い通りに動かぬ以上、常に不満足な、舌を出し、腹をすかせた犬のようであり続ける。
 きみは、きみ自身を満たすために、こうしているのだ。いつもいつも、そうなのだ。これ以上、他者を自己の内に引っ張り込むな! きみは、きみ自身を大切にせよ!
 遠慮は要らない。きみに、きみが、きみ自身に、何の遠慮が?

 べつに、何だっていいのだ。今きみは書いているから、こう書いている。きみが誰かに対する時も、それでいいのだ。なぜなら、その誰かは、きみから始まっているからだ…
 堂々とせよ、堂々とせよ、いや、そんな胸を張ることもない。いかに力を抜き、結局のところ生きていくかが(ああ、「また生きていく」だ!)、肝要なのだ。力を入れると、続くものも、続かないよ。
 きみはたぶん、続いていくのだ。他者はどうあれ、続いていくのだ。だから、だから… きみは他者とともに生きてくことになる。しかしきみ、今は… 今はきみ、きみ自身と向き合う、そういう時間なのだよ。なぜなら、きみはひとりだからだ。そしてどう足搔こうが、最初的にも最後的にも、きみは

のだ。
 だからひとりひとりを大切にせよ、などという、錆びれた、古臭い、道徳的な、教訓めいた「上から下へ」の馬鹿げたしたり顔には、目もくれたくないのだ。その顔は、きみにもたまに、顔を出す… 過去になったから言える、遺跡の独言。
 過去も、それを彩る、形どる人間、きみのしてきた交わりも、きみ自身を「こうであるか」とする契機なのだ。同様に、きみ自身も、きみ自身が交わった人間へ、「わたしはこうであるか」とする、させる、介在者であったように。
 おそらく人間は、それぞれの自己を知る、知らせる、介在者、仲介者であるところから、超えることはできない。それ以上のものになろう、とすることは、思い上がりも甚だしい。なろうとすることはできる。それはきみ自身の仕事であって、社会的な、取って代わるような、代価や対価を求めるような仕事ではない。
 それはきみが、きみにする、きみの仕事だ。きみにしかできぬ、きみに限定された、きみだけができる仕事だ。今までのこと、「これが自己であるか」のきっかけをつくった時間、それをこね回す現在、流れていく今の、今自身、この時に掛かっている。なんと貴重な時間だろう! 何故にあった時間だろう、何故にある生だろう、何故にある、来るべき死だろう。
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