第340話 型

文字数 1,541文字

 数多ある精神疾患、その病名。型にはまる、その安心感。病名を付与されることの。
 型にはまる人間関係、型にはまった生き方、型通りの時間。すべては型通りだ。みごとなものだ、思考回路、先入観、ものの見方。
 疑え、疑え。正しいことなど、何もないのだということを。何を善、何を悪とするもの、そのものを疑え。
 見る景色、そこから得る感慨。感想。たいてい、似通ったものだ。考えることも、たいてい、似たようなものだ、人間という種族は! だって人間なんだから。昆虫が六本の足で、両生類が四つ足で歩くように。人間に与えられた性能、その範疇を超えることはできぬ。それを超えた者は人間以上、人間以下となり得るか。ならない。それも人間のあがき(・・・)、人間の範疇、人間の中に(・・)収められる、それだけの容量、収納場の余裕がある。空きがある。どうあがいても、人間は人間の範疇、限界を超えることはできぬ。何をしたところで、何もせぬところで、それは人間になる!

 しかし視覚、聴覚、味覚。これは私にしか分からぬものだ。私には眼の中を飛ぶ蚊が見える。夜にはキーンというけたたましい耳鳴りも聞こえる。これを美味しいと思う、不味いと思う。これらのものは、同じように覚える人間がいるとしても、さしあたって私が「今」感得するものだ。蚊にしても、ほんとうにその「似たような症状の人」と同じように見えるかといえば、それは本人(・・)にしか分からぬ。耳鳴りも味覚も、ほんとうはどのように聞こえるか・どんな味がするかは、実に本人にしか分からぬものだ。唯一の共通点は似ている、同じような、という点だけで、それを仔細に見つめれば個々人、全く同じでないだろう。一人とて、同じでないだろう。

 人間という種にあること、この身体、感覚、一つの種であることには誰一人変わる者はない。ところが、その一人一人、一人を、綿密に、精妙に見つめれば、そこは人間を超えるに等しいような、宇宙のごとき深淵がある。それも、一人であるから出来る作業だ。「人間として」などという借り物の考えなど、捨てるがいい。それはごまかし、あやかしだ。それを思考に持って来た時点で。

 ここ二、三日のニュースから。自衛隊で、性被害を受けた女性が、笑顔になった。ほんとうによかったと思う。嬉しいニュースだ。断じて、あんなことは起きてはならないと思う。裁判で、そんないやな思い出、過去を、さらすこと、それがどんなに彼女に苦しかっただろう!
 私はこんなふうに、何か記事を見ては一喜一憂する。ほとんどがろくでもない。が、このような際、あまり「憂」にならぬようにした。「人間」をこのとき持ち出すようにした。ああ、こんな「不幸な」「悪い」ニュースばかりなのは、需要があるからだ。見る人が多いからだ。自分もその一員だ、いいことだって沢山している人はいるだろうに、それはほぼ悪いニュースの下に埋もれる。メディアはこぞって憂鬱なニュースを流す。それには需要があるからだ…

 人の不幸を蜜の味にする。これも人間の性能だ。それを受け容れることにした。自分もそうなのだから!
 ここで、善だの悪だの持ち出すのは、それこそ卑怯というものだ。自己を省みよ。また、こんなふうに考えるようになって、だいぶ苦しみのようなものが少なくなった。戦争の、見るのもつらかった映像、リアルなニュース映像も、見れるようになった。
 だが、それも「人間は」という立ち位置、私のそれに対する見方、こいつに依っているのだ。そうして、しかし、この「私」というこいつは、「人間は」という型にしっかり収まりながら、「それだけでない」ところにいる。それ以上にも以下にもなれる、「私」の意思も働いている。「私」は「私」の型をどうにでもする。また、それがどうやらできるらしい…
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