第138話

文字数 1,377文字

 ぼくはどうしても「心理」的なものに関心が行ってしまって、それを引き離すことができない。
 職場で意地悪な(「悪」とする以上、「善」とする自己がいる)上司なんかと巡り合ってしまったら、どうしてこの人はこういう人になったんだろう、と考える。と、どうして自分はこんな自分になったんだろう、と、自己についても考えることになる。
 結局、感情的な自分に押されて、もうイヤだ!となって、あまり同じ仕事を続けてこれなかった。情けないと思う。自分で自分がイヤになる。
 曲がりなりにも、今まで生活をしてきて、自分の意思・意志でなく、生かされて来たなぁ、と思う。
 なんでこうなったのか分からない。
 自分のことなのに、自分のことが分からないとは、何たることかと思う。無責任で、薄情な、情けない人間だなぁと思って、ひとりでよく落ち込む。全く、落ち込む以外、ないじゃないかと思う。
 でもそんな時、結局何だかんだ、書くことで、自分で自分を救ってきた、金魚すくいの金魚みたいに、と思う。
 これがクセになるのも、危険な感じを、どこかで感じる。自己正当化にばかり走る、ほんとに正当化に走れるのだ。
 第一、気に入らぬ人を「悪」とし(するのだ)、気に入った人を「善」、ヨシとする、これ自体がそうだ。
 合わない人とも、うまくやって(合わないとする自分とうまくやる)、そんな感情的にならず、要するにシッカリした自分であれば、一つの仕事も、続けることができたと思う時がある。
 でも、もう、しょうがない。悲観的でなく、しょうがない、と思っている。ほんとにしょうがないのだ。

 人の目を気にするというのは、もう生涯、離れないだろう。人さまのことも、よく分からないけれど、自分が自分について知っていること、あ、これが自分だ、と気づかされた自分は、繰り返しになってしまうが「登校拒否をした自分がいた」という事実だった。
 みんな、登校している中で、そこに行かないということは、明らかにぼくは「異常」だった。自分は普通でない、意識を持った。
 この、意識にある限りの「原体験」のようなものは、その後も続いている。つまり、誰かもこんな歌を歌っていたけど、≪となりを横目でのぞき、自分の道を確かめる≫をずっと続けて来た── 「普通は、こう感じるんだろうか、普通は、こういう行動、言動でいいんだろうか」と、そんなようなものを、ずいぶん過剰に気にしてきた、ように思う。
 これも、仕方がないと思っている。(原体験のせいにしている)

 ただ、今、やっぱりどうでもいい話ですみませんだが、飛蚊症という、ちょっと厄介な症状の中にいて、あ、これは、あまり周りのことは気にせず、自分の道を行きなさい、という、カミの声かナ、などと考えている。
 この飛蚊症というのは、飛んでもいない蚊が見える、という症状で、かなり鬱陶しい。でもこの蚊は、自分にしか見えず、周りにいる人には、全然見えないものなのだ。
 いわばぼくは、主観的真実に生きていることになる。
 現実に道を歩いていても、あまりキョロキョロすると、眼玉さんも動くので、その蚊も動き、よけいに鬱陶しい。
 で、あまり周囲を見ず、文字通り「わが道を行く」感じで、自動車や自転車、歩行者に気をつけながら歩いている。

 こんなふうに、生きてっても、いいんじゃないか。そんなふうに結構本気で、思えている。
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