第84話 存在しないもののように存在するということ
文字数 1,333文字
大江健三郎の「空の怪物アグイー」に登場する音楽家は、自分が生きていた形跡を残さないように生きていた。今存在していることも、ひとに気づかせないように。
どのように形跡を残さぬよう気をつけていたのか、細部の描写は忘れたが、何かその主人公の気持ち、生き方に、共感めいた気分になる。
謙虚さ、謙遜を、ほんとうに貫こうとしたなら、そういう生き方になるだろう。
存在しないように存在する… 意見も言わない。ひとを傷つけることもない。
ただ存在するだけ、ともいえる。しかも、本人は誰の記憶にも残らぬよう、存在していないように存在するという。
このような存在が、もしかしたら、最も印象深い存在なのかもしれない。
「自分が、自分が」という存在より、よほど尊いようにみえる。縁の下の、空気のような存在。
そんな、ほんとに謙虚なひとに、一度だけ会ったことがある。
いつも微笑が、接しているとき、たえずあって、相手に対する気づかいがいたく感じられた。
ほんとうに目立たないようにしていて、だからぼくにはとても気になる存在だった。
話すときは、相手の目を見て、ひたいに汗して、丁寧な言葉づかいで話してくれた。
自然消滅した関係だったが、心がほんとにピュアであることが伝わってきた。
家に遊びに来てくれたり、何度か同じ時間を過ごしたけれど、印象はずっと変わらなかった。接しているこっちも、心が洗われるような気がした。ほかの友達は、あまりそういう印象をもたなかったようだった。でも、どうしてか、ぼくには彼のピュアさばかりが感じられた。
彼にしてみれば、そんなふうに感じてほしくなかったかもしれないが…。
本の中の音楽家は、まわりから狂人のように見られていた。彼が、別れた妻との間に授かった赤ん坊、その子は生後まもなく旅立ってしまったのだが、その赤ん坊がこの世で唯一発し、彼が聞いた声が、「アグイー」だったのだ。で、彼はその子を、もうこの世にいないのだが、「アグイー」と名づけたのだった。
だが音楽家のもとに、その赤ん坊は、ふいに降りてくるのだ。カンガルーほどの大きさで、白い綿の肌着を着て。
彼が交通事故に遭ったのも、信号待ちをしていたとき、横に降りてきていたアグイーが車道へ飛び出してしまったからだった。赤ん坊を助けようとして、彼はトラックに轢かれてしまうのだ。
そして彼が外出する際、付き添うように雇われた主人公は、その事故を目の当たりにした上、病室のベッドに横たわって「冗談のように」医療措置を受けている姿を見るのだった。
「あなたにとってアグイーは、自殺のカムフラージュだったのではないですか」と主人公はベッドの上で死に行く彼へ問う。そして主人公自身、自分でも思いがけない言葉を口にする、「ぼくはアグイーを信じてしまうところだったんです!」
だが、主人公自身、音楽家の死んだ翌年の春、自分の背後からアグイーが、カンガルーほどの大きさの懐かしいものが、空へ飛び立っていくのを感じたのだった。
存在しないように存在することへ魅惑を感じていたら、むかしの友達のことを思い出し、大江の描いた音楽家のことを思い出してしまった。
現実にいた友達と小説の中の想い出が、どうしたわけかリンクした瞬間だった。
どのように形跡を残さぬよう気をつけていたのか、細部の描写は忘れたが、何かその主人公の気持ち、生き方に、共感めいた気分になる。
謙虚さ、謙遜を、ほんとうに貫こうとしたなら、そういう生き方になるだろう。
存在しないように存在する… 意見も言わない。ひとを傷つけることもない。
ただ存在するだけ、ともいえる。しかも、本人は誰の記憶にも残らぬよう、存在していないように存在するという。
このような存在が、もしかしたら、最も印象深い存在なのかもしれない。
「自分が、自分が」という存在より、よほど尊いようにみえる。縁の下の、空気のような存在。
そんな、ほんとに謙虚なひとに、一度だけ会ったことがある。
いつも微笑が、接しているとき、たえずあって、相手に対する気づかいがいたく感じられた。
ほんとうに目立たないようにしていて、だからぼくにはとても気になる存在だった。
話すときは、相手の目を見て、ひたいに汗して、丁寧な言葉づかいで話してくれた。
自然消滅した関係だったが、心がほんとにピュアであることが伝わってきた。
家に遊びに来てくれたり、何度か同じ時間を過ごしたけれど、印象はずっと変わらなかった。接しているこっちも、心が洗われるような気がした。ほかの友達は、あまりそういう印象をもたなかったようだった。でも、どうしてか、ぼくには彼のピュアさばかりが感じられた。
彼にしてみれば、そんなふうに感じてほしくなかったかもしれないが…。
本の中の音楽家は、まわりから狂人のように見られていた。彼が、別れた妻との間に授かった赤ん坊、その子は生後まもなく旅立ってしまったのだが、その赤ん坊がこの世で唯一発し、彼が聞いた声が、「アグイー」だったのだ。で、彼はその子を、もうこの世にいないのだが、「アグイー」と名づけたのだった。
だが音楽家のもとに、その赤ん坊は、ふいに降りてくるのだ。カンガルーほどの大きさで、白い綿の肌着を着て。
彼が交通事故に遭ったのも、信号待ちをしていたとき、横に降りてきていたアグイーが車道へ飛び出してしまったからだった。赤ん坊を助けようとして、彼はトラックに轢かれてしまうのだ。
そして彼が外出する際、付き添うように雇われた主人公は、その事故を目の当たりにした上、病室のベッドに横たわって「冗談のように」医療措置を受けている姿を見るのだった。
「あなたにとってアグイーは、自殺のカムフラージュだったのではないですか」と主人公はベッドの上で死に行く彼へ問う。そして主人公自身、自分でも思いがけない言葉を口にする、「ぼくはアグイーを信じてしまうところだったんです!」
だが、主人公自身、音楽家の死んだ翌年の春、自分の背後からアグイーが、カンガルーほどの大きさの懐かしいものが、空へ飛び立っていくのを感じたのだった。
存在しないように存在することへ魅惑を感じていたら、むかしの友達のことを思い出し、大江の描いた音楽家のことを思い出してしまった。
現実にいた友達と小説の中の想い出が、どうしたわけかリンクした瞬間だった。