第161話 隠者

文字数 1,576文字

 承認願望。「自分が認められたい」という業の深さを思わせるものだ。
 これが、出世をしたいだとか、一緒に仕事をしていても妙な競争をすることになったり、ひとをケ落として自分が認められたいという、あざとい、いやな環境を生み出す一因になっていると思える。
 オレオレ詐欺に遭い、振り込もうとした老人を止めた。だが、その止めた人は派遣社員で、地位的に高い正社員に、その功績を奪われた人をぼくは知っている。そんなにまでして、上司から認められ、よくやった!などと誉められて、恥ずかしくないのかと思う。
 これも、自己承認願望の表われだろう。その人に、罪はないと思う。そういう願望が、人間にあるということが罪なのだ。そしてその願望に、抗うことなく、安易に屈してしまうことに、哀しみを覚える。それが平気でまかり通るような世界に、いいようのない悲しみを覚える。
 そんな時、ぼくはよく荘子を想う。
 孔子の、やたら形を重んじた、言葉を変えれば「結果」を重んじた、形式主義のごときものに対する反発もあったろう。荘子は、自分が何をしたか、何を言ったかなど、そんな形跡を残さず、生きようとした。
 もう2000年以上前のことだから、はたして何がホントだったのか分からない。だが、確かに言えるのは、彼が「隠者」たろうとしていたことだ。
 賞讃なんか浴びたくない。注目もされたくない。お偉い人だ、などと思われたくもない。
 承認願望、自己顕示欲を、彼はきれいに捨て去って、生きようとしていた。

 そしてほんとうに立派な人は、そんな願望や欲を、小さきものとしてあつかう。それどころではない、もっと大きなものに向かっている。だからそんな願望や欲は、自然、小さなものになっていく。ぼくは実際に、そのような人と会ったことがある。美術館の画家ふたりと、数学の微積分で有名だったらしい予備校の講師だ。
 向かう方向── 自分の向かう方向。これが、どんなに人間、その人に、魅力的な、大きな人とするか。自己がどんな方向に向かうかで、どんな卑小な、猥雑な人間になるか。
 自分が後者の人間であるから、彼らがよけいに魅力的に、心に大きく入ってきたのだと思うが、それを差し引いても彼らは立派な人だった。
 彼らは、もう老いていた。でも、それまでの生きざまが、絵と数学という形に現わされたとはいえ、その形として残され、後世に伝わっていくことと思う。その形象を為した、本人の思想、人間性のようなものも一緒に。
 人間は、誰でも隠者かもしれない。何らかの形に、自己を表わさない限り。
 そして何も表わしたくないという、隠者そのものになって、満足して死んでいけたら、もしかしてそれが本当の生命の謳歌、人生の成功者だったのではないか、と思う。
 人生の方向性。それを決めるのは、自分の意思だ。

 ミュージシャンのユーミンが、「誰がつくったのか分からないけど、ずっと歌い継がれるような歌をつくりたい」と言っていた。「私の名前」なんかどうでもいいのだ。
 今も読まれ続けているのか知らないが、「出家とその弟子」など、表立って売れているわけではなかろうが、地道に、じっと、読まれ続けている、と聞いたことがある。
 しかし僕は、ほんとうの隠者が、だから無為自然の、荘子の思想に繋がるのだろうが、何もせず、満足して死んでいけるような、そんな人生が、何か完成形のように思えてならない。尊い、愛すべき、生のかたち、かたちにさえならない、だから生命そのものといったような、そうして満足して、生を全うできたなら、と想う。
 そんな見方が、自分にあるだけで、見える景色も変わってくる。
 何もしないわけにもいかないから、できることをすることになる。そうして一日が無事に終われば、それで満足して眠りたい。
 一生も、そんな一日と、とくに変わらないのではないか。そんな気もする。
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